雑感〜童話書きchaykaがいろいろ考えたこと
01年12月29日に書いた「東京旅行記」はこちらです。
サイト開設から、29日で、半年経ったことになる。
ごく短い時間でここまで来たような気もするし、一方で、長い年月がたったような気もしている。
ネット歴半年くらいで、いきなりHPを作ったのだから、それなりに、苦労もしたような
気もするけれど、ふりかえってみると、楽しかった記憶しか浮かばない。
掲示板カフェかもめ亭を通して、いい出会いをたくさんしたからかもしれない。
常連のみなさん、そしてROMのみなさんも、ありがとう。
電脳世界での人間づきあいを、わたしは楽観もしていないけれど、
悲観もしていない。心躍る出会いがたくさんあると思う。
傷ついた人をみんなで慰めることもできるだろうし、
慰められることもできるだろう。
ささやかな日々の喜びを、教えあうこともできるし、それを喜び合うこともできる。
誰かの喜びを、自分の喜びとすることができる。
これからも、かもめ亭は、そういうところでありたいと思う。
24時間、いつも開いている窓のように、ここにくる人々の喜びや悲しみをうけいれ、
うけとめてあげたい。そうして、少しでもいい、みんなが幸せになれればと思う。
言葉での優しいふれあいを、お互いを言葉のやりとりによって理解し合おうとする行為を
わたしは「なれ合い」だとも、不毛な行為だとも思わない。
むしろ、人間というものは、絶対に相手を真に理解することはできないと思っているからこそ、
わたしは、わかりあおうという努力をする人々を美しいと思う。
誰かの心に寄り添おうとする人々を、好ましいと思う。
そういう人に、憧れていても、なかなかなりがたいから、なりたいと思う。
みなさん、本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。
(00.11.29 サイト開設半年の日に)
夕べ、ちょっとついでがあって、とあるサイトを拝見した。
チャット世界で「関西人の鑑」という通り名を持つ(一部でだけど)森江氏の
関係で、見に行ってみたのだった。
するとこれが、作家を志望する人々の交流の場になっているサイトで、
ミステリや純文学歴史小説など、それぞれの分野にわかれた掲示板があったり、
創作上のさまざまな疑問や問題点について語り合うためのスレッド式掲示板が
あったり、作品を投稿する場があったりと、実に楽しいサイトなのだった。
わたしが投稿生活を送っていたころは、こういうサイトはなかった…というよりも、
インターネットそのものが存在していなくて、あるのは公募ガイドくらい、
自分以外の誰かと、作家業を目指して張り合うということもなければ、
はげましあうということもなく、ああでも、漫画家志望の友人とは、そんなこともしていたか。
当時の、焦りや夢でいっぱいだったころのことを思うと、今わたしが若者だったとしたら、
そうしてネットをしていたとしたら、きっとあのサイトにでいりしていたとおもう。
いい時代になったなあと、素直に思った。
さて。そこの掲示板を読んでいたら、作家は売れるまでなにをしてごはんを食べていくか、
という話題がどの掲示板だったか盛り上がっていた。
親のすねかじりは是か非か、みたいな論議もあったりして。
どの意見もなるほど、と、思いながら拝読していたのだが、わたしの場合は、
売れるまでアルバイト生活だったなあ。今でいうフリーターをしていたのだった。
ローカルFM局で、はがきを紹介するお姉さんをやったりとか、
放送原稿を書いたりとか、道路交通情報をしたりとか、
そんな、見た目がきれいで拘束時間が少なくて、なおかつ「才能」もいかせる仕事を
ちょこちょこしていたのだった。運がとても良かったのだと思う。
週に半分はたらいて、残り半分は小説を書いて、入るお金は少し家にいれる
だけで、あとは全額、資料代に回すことができたのだし。
家庭の事情がそんなわがままを許してくれていた。
うちの父親はわたしがはたらくことをむしろ好まなかったので、思えば一度も、
「定職に就きなさい」とはいわれなかったような気がする。
我が家は裕福ではないが、わたしがはたらかなければ困窮するほど、貧しくはなかった。
ただそれでもやっぱり、父にはすまないと思っていたので、一度、頭を下げたことがある。
「すぐに作家になるから、あと少しだけ、遊ばせてください」と。
このとき、自分で期限を切ったような気もするけど、よくおぼえていない。
そして、「すぐに」ではなかったが、本当にわたしは作家になった。
翌年は椋鳩十賞もいただいた。二百万の賞金は、全額、親に渡した。
母親はなんだか申し訳ないと思ったのか、銀行からお金をおろしてきて、
札束をわたしに見せてくれたものである。でも、二百万円というのは、
厚さにするとぺらんぺらんとしていて、いっそ、哀しい厚さなのだった。
まあそうだよね。「一億円でトランク一つ」って映像、よくテレビで見るもの。
一億ないと、トランクはいっぱいにならないのだわ。
さてさて。思い出に耽って、前ふりが長くなってしまった。
本日の雑感でいいたいことは、実は、これからなのだ。
アルバイトをしていたころ、短期間、眼鏡屋さんで働いたことがあった。
「宣伝企画部」ということではいってみたら、やるのはチラシづくり、という職場だった。
まあ世の中そんなものである。で、ここで、「人手が足りない」といわれて、
何回か、店に売り子として手伝いにいったことがある。「企画部」は仕事がなかったしね
これが実に、生涯でたぶんたった数回の経験になりそうな、店員さん経験だったのだけれど、
すごくおもしろかった! のだ!!!
さすがにレジは打てないし、打たせてもらえないので、わたしは接客と販売だけ
だったんだけど、接客がとにかくおもしろかった。
おもしろいっていうのはね、仕事がおもしろいっていうのじゃなく、
「人を相手に仕事をする人の気持ちが分かって」おもしろかったのだ。
もちろん、ほんの数回の経験で感じたことだし、わたし以外の人が
同じ経験をしたらまた違った感想を持つかもしれないのだけれど、
少なくともわたしは、「もしわたしが人に接する仕事をするならこう思う」
という気持ちがすごく分かったのだった。
「営業スマイル」って言葉がある。人は、お店の前を歩いているときに、
笑顔で声をかけたられたりすると、「営業用スマイル」だよな、とか、
つい思っちゃったりしがちだけれど(少なくともわたしは以前はそうだった)、
これが、違うのだ。お客様の前だと、笑顔が本当にでるんだよ!
アーケードをお客様が歩いてくる、うちの店に目をとめてくれた、
うれしいな、にこv ってかんじに、素直に笑えてしまうというのは、
自分で本当に驚いたものだった。
で。お客様がうちの店になんと、入ってきてくれた(って、実際は呼び込むんだけど。
めがねや宝石を洗う洗浄機が店頭にあって、「よかったら、お洗いしますので、どうぞ」
といってさそうと、けっこうお客様は入ってきてくれるのだ。で、「洗いますあいだ、
どうぞ、店の中をごらんになっていてくださいね」と持ちかける。お客様が
偶然ほしいものに目をとめちゃったら、お互いにとってハッピー!)、
その段階で、何ともいえない感情が、わたしの胸をよぎるのだ。
お客様への、愛情とか、いとしさとか、責任感とか…そんな感情が。
わたしはプロの眼鏡屋さんじゃなかったんだけど、売り子をしているときは、
本気で「目の前にいるお客様のためにわたしは全力を尽くそう」と思っていた。
でまあ、思いが通じたのか、「ほしいものはいまないんだけど、あなたのために何か
買いたいの」といってくださったお客様もいたし、支店の大売り出しを手伝いにいったときには、
たぶんわたしが、その店の従業員さんたちをさしおいて、売り上げトップだったと思う。
眼鏡屋さんの日々のわたしは、本気でお客様の幸せを願っていた。
人に接する仕事をする人には、自分に接する人々に対して、愛情が生まれるのだと
思う。もちろん、その愛情は、その人の体調や気分によって、
左右されてしまうものなのかもしれないけれど。
それに、ノルマに縛られて、お客様の幸せより、売り上げが大事になることも
あるだろう。…そういう人は、多いかもしれないな。
でも、根本的な部分で、「お客様」に対する愛は誰にもあるのだと、わたしは信じている。
わたしは、道路交通情報をしていたときは、ラジオの電波に乗せて
混雑情報を流しながら、「早く渋滞がおさまるといいんだけど」と思っていたし、
放送原稿の取材で、町おこしの担当者の人に電話インタビューをしたあとは、
「イベントがうまくいくといいなあ」と思っていた。FMの番組で、リスナーのはがきを
紹介しているときは、常連さんのことを、ほんとにみんな、好きだった。
だからわたしは、その後、ヤクルトのお姉さんが笑顔で配達にくると、
「この人はわたしのことが好きなんだな」と、信じることができる。
市場のお総菜やさんでコロッケを笑顔で勧められたら、きっと本当におとくなんだな、と、
信じることができる。そうして、幸せな気分になれる。とってもいいことだ!
十五年前の今日、山に落ちた飛行機のコックピットにいた三人−−
機長さんと副操縦士さんと、機関士さんの三人は、だから、
本当に、乗客の人たちを愛し、その人たちの命について、責任感を持っていたと思う。
だって、そういう仕事だったんだから。
わたしは、ずうっとそう思っていた。
新聞や週刊誌で、どんなひどい書かれようをしても、信じていた。
十五年ぶりに公開されたという、コックピット内での会話を録音したものを
今夜、わたしはテレビ番組できいて、ひとりで、うなずいていた。
(00.8.12)
日航機が御巣鷹山に落ちてから、十五年目の日に
まず注意。本日のネタは、ちょっとショッキングかもしれない。
気の弱い人や、子どもにはあまりおすすめできません。
今日付け(00年7月21日付け)の朝日新聞を読んでいたら、見開きで、
「生理人類学会の公開シンポ」という特集記事が載っていた。学者さんや
ニュースキャスターさんたちによるパネルディスカッションのようすをまとめたものだ。
「主観と生理反応は別」(たとえば赤っぽい光と青っぽい光で被験者に好みをきいてから、
実際に両方の色の光を当ててみると、被験者たちの好みには関係なく、
生理反応は一定にでるらしい)とか、
「柔らかい肌着は体にいい」(リラックスして、脳の働きが高まるらしい)とかのあたりは
おもしろかったのだが、さりげなくまじっていた文章に、うっときてしまった。
ある方のお話の中にでてくる話なのだが、
「…とくに大きな成果が一九五四年の快中枢、不快中枢の発見です。
ネコやネズミの脳にいくつか電極を入れ、嫌な音を流したり、
自分で刺激させたりして場所がわかりました。」
ああ、動物実験。
さりげなーく、「電極を入れ」って書いてあるけど、これは、動物の脳を
頭蓋骨切って開けて、露出状態になった脳味噌に、電極さして実験したわけなのだ。
麻酔なしで。
私は写真(印刷物の)を見たことがある。
餌皿より小さな真っ黒の子猫が、露出された脳に電極を刺されている。
そうして、餌皿の中にうずくまって、大きな目でこっちをみているのだ。
動物実験については、私は、消極的な反対意見を持っている。
私自身が、気づかないところで動物たちの犠牲に救われてきているのだろうと思うと、
なにがなんでも絶対反対、とまではいいきれない。
それに、たとえば猫や猿など脳が発達した動物を使った実験によって行われる
脳の研究によって、これから未来に救われるだろう多くの人々のことを考えると、
人間で実験をするわけにはいかないということを考えると、「必要悪」という言葉が
浮かんできてしまうのだ。「あなたはうちの重病の家族よりも、犬猫の命が大事か?」と
病人を家族や知人に持つ誰かから詰め寄られれば、うなだれるしかないからだ。
それに、進んだ医学は、結果的には動物医療にも役立つのだし。
でも、いくら「不要」な動物たちが、たとえば保健所から潤沢に手にはいるからって、
どう考えても、「不要」な実験を行う必要はないじゃないかと思うのだ。
動物実験に反対する運動をしている人々の作ったパンフレットで、
悲しそうな目でこちらを見上げている子犬の写真を見たことがある。
子犬は、「ストレスに関する実験のため」足をハンマーで砕かれたのだそうだ。
それから、何かの本で、やはりさりげなく語られていた逸話。
「ネコやネズミの母親は愛情が深い。なぜならどんな苦痛を与えても、子どもを守ろうとする」
こういう動物実験って、本当に、必要なのかな?
ふつうの想像力があれば、実験の必要のないことじゃないのかな?
私はそういう悲惨な例を知るたびに、七三一部隊の実験を思い出す。
「胃と腸を摘出して、順番を逆につないでみたら、どうなるかな?」
「人間の血を抜いて、動物の血を輸血してみたらどうなるかな?」
豊富な実験材料(当時敵国とされていた国の人々)を被検体として、行われた人体実験。
胃と腸を逆につなぐ実験は、「イチョウ返し」と呼ばれたそうだ。
動物実験に使う動物は、犬猫の場合、元ペットだったものが喜ばれる。
人を信頼し、人の手で扱われることになれているからだそうだ。
人間は万物の霊長で、すべての動物たちのどれよりも強くて偉くて立派で、
手術でも研究でもなんでもできちゃって。
だからって、動物たちの命を、ここまで自由にむさぼってもいいのかと思うのだ。
私ひとりの命のためなら、もうこの先、医学は発展しなくていい。
私のためになら、どんな動物実験もいらない。
ひどい病気になったなら、治療は拒否して死のうとそんな決意はできている。
たぶん、医学の進歩のおかげで救われた家族や知人を持つ人の多くは、
私とは違った意見を持っているだろう。私もそういう人たちの意見は、
もっともだと思う。わたしだってあるいは、自分か家族に重病を治された経験があれば、
また違った考え方をするかもしれない。
でも、わたしには、食道ガンで死んだ父の思い出しかないのだ。
父は元気だったのに、春先のある日、食べ物が喉を通りにくくなり、胸の
レントゲンを撮った。街の病院は大きな病院での検査を勧め、父は自分で病院を選んで、
ある病院に行った。キリスト教系のきれいな病院だった。担当医は優しい眼差しの、
真摯な外科医で、父も私たちも、すぐに信頼した。看護婦さんたちも優しかった。
父は検査入院して後に手術、三ヶ月後に帰らぬ人となった。
あのときの手術は、今思うと不要な手術だったのだ。
末期ガンであった父の手術は、最初、それでも手術を試みてほしいという父の願いで
ガンを摘出するために行われるはずだった。しかし、あれはほとんど手術の前日か
それくらい日にちがせまったころになって、担当医が「摘出は無理です」と、いったのだ。
いわく、ガンが大きな血管に張り付くようにして存在しているから、
無理に摘出しようとすると、血管が破れて大出血し、死に至るから、と。
しかし、食道を一回切断し、食道の上の部分と胃の上部を直接つなげれば、
口から食べ物がとれるようになり、そうすると栄養状態が良くなるだろう、
だから、手術しようと、担当医はいったのだ。
そのとき担当医は、「元気になったら放射線を当ててガンの治療をしてみましょう」ともいった。
しかしそういいながら、悲しそうに、治療がうまくいく確率は低いともはっきりと告げてくれた。
この時点で父はとても元気だったし、家族は振って湧いた「ドラマチック」な事件に
ただ衝撃を受けていたから、担当医のいうままに、手術を承諾してしまった。
結果的に、父の食道と胃は完全につながることのないままで、
父は栄養をとれないまま、胸の傷口から水分と血膿をしたたらせながら、死んだのだ。
あれは不要な手術だった。あとでいろんな文献を調べてわかったのだが、
父のように手術が不可能な末期の食道ガンの場合、切開手術はせずに、
放射線で治療を行うのが、正しいとされるやり方だったのだ。
もし放射線治療をしていれば、体力も気力も十分あった父は今も存命だったかもしれない。
しかし、親切だった病院スタッフのことを、父が死んだとき真夜中なのに
自宅から駆けつけてくれ、白衣を着て手を合わせてくれた担当医のことを、
私たち家族は、感謝こそすれ、うらんだりはしない。
何か巡り合わせが悪かったのだとしか思わないようにしている。
なによりも、あの病院は、父が選んで入院した病院だった。
父は、死ぬ間近、モルヒネでもうろうとした心理状態のまま、何度もいった。
「先生を責めてはいけない。裁判で訴えようとしたらいけないよ」
父自身もきっと、「あの手術は不要だった」と、気づいていたのだろう。
あの出来事以来、私は大病院の建物にはいると、気分が悪くなるようになってしまった。
大病院にはこの先どんな重病になっても、いく気がなくなってしまった。
もちろん、大きな病院にだっていい先生がいるのは知っている。
そこに最先端の医学があることも知ってはいるのだ。
でも。あれ以来私は、医学というものを信用していない。
時と場合によって、医学は人を不幸にすることもある。
昔だったら、喉の腫れ物の病は、食物の経口摂取を受け付けなくなった段階から
じわじわと衰弱が進み、そのうち力尽きて、楽に死ねただろう。
なまじ手術という選択肢があったばかりに
父は不要な苦しみをえて、死ななければならなかったのだといえる。
もし、父が放射線による治療を受けることができていて、そうして助かっていたら、
私はこんなふうにならなかったのだろうか?
たまに思う。思いながら、魔法や歌の力で、病をいやす人々の物語を
私は書き続ける。そこに何かの祈りをこめて。
不要だと思われる動物実験に反対する思いと、父の死の思い出は、
つながっていないようでいて、でもやはり、私の心の中では、
ほそぼそと、ねじれたようにして、つながっている。
わかりやすい、はっきりとしたつながりではなく、人には説明しづらい関係で、
でも、私の心の中では、関係あることとして、隣り合って存在しているのだ。
(00.7.21)
<追記>動物実験について興味がある人は、「地球動物会議」という組織について
調べてみてください。動物実験の反対運動をしている団体です。
三一書房から「動物実験を考える」という本が数年前に出版されていましたが、
今は手に入らないかもしれません。でもHPがあるときいたような気がします。
さがしてみてください。私はあそこの資料は胸が痛くてみられないので、
今はHPをさがす勇気がありません…。本当はリンクをはりたいと思っているのですが。
いずれ、見に行かなくてはと思っているのですが…。
「少年少女新聞」さまから、自分の本について語るコラムの、ご依頼がきた。
「シェーラひめのぼうけん」について語ってほしいのだという。
先日とどいた今までに掲載された、他の著者の方々の文章のコピーを拝見し、
最新号の新聞を拝読する。するとこれが、
岡田淳、富安陽子、梅田俊作、きたやまようこ、たばたせいいち…。
この業界ではずいぶんと豪華な顔ぶれである。
こういう流れの中に、不肖村山が混ざるというのは、問題じゃないかという
良心の声がするが、引き受けちゃった以上、仕方がないんである。
ただそのう…。困っちゃうのは、「写真を送ってほしい」という一言が、
便せんに書いてあって、下に赤線が引いてあるということで。
「写真かあ」と、村山はうめくのである。
実は、わたしには、写真を撮るという習慣がない。
唯一の例外は、猫の写真を撮ることくらいなのだ。猫はなぜ
例外かというと、猫好きの人にはわかるだろうけれど、
友人知人に我が家の猫がいかにかわいいか自慢するために決まっている。
しかし、著者近影で、まさかその、いくら自慢でも、
我が家のかわいい猫どもの写真を送るわけにもいくまい。
(わたしが読者なら、大喜びだけれども)。
写真好きの友人たちと遊びにいったときは、ついでのように(無理矢理)
記念写真を撮られてしまうけれど、ここのところ、
忙しくて遊びに参加する機会が減っているから、スナップ写真もない。
このコラム、他の著者のみなさまは、にっこりと幸せそうな笑顔のスナップと
一緒に楽しそうな文章が載っているけれど、みなさまとそろえるためには、
わたしは、今から新しく写真を撮らなければならないのである。
写真嫌いになったのは、まず、子どものころ、「心霊写真」ブームがあったから、
という、笑える理由がある。
「うっかり写真を撮って、変なものがうつってたらどうしよう?」
という恐怖から、写真が撮れなくなった。
その後、物心ついて、自分の顔の美醜にこだわりがでてからは、
いよいよ自分の写真なんて、撮りたくなくなった。
(ちなみにどんな顔かというと「メソポタミア文明の遺物のコインに刻まれた女性の顔」
に似ているそうだ。高校時代の、クラスメートの発言である。少なくとも、高校時代は
そうだったのかもしれない。それから残酷な年月を経て、いま、
自分では、光栄のゲームの「三国志」の武将の顔に似ていると思う。…悲しい)。
そういうわけで、わたしの写真は、この世にほとんど存在しない。
人に撮ってもらっても、無理矢理焼き増しされたのを渡されない限りは、
手元に置くことはない(いただければ、もちろん大事にはするけどね)。
仕事の関係で必要になったときは、しょうがなしに、近所の写真館に撮りに行っていたものだが、そこも、主の代が変わってからは、わたしの好みの写真を撮ってくれなくなったので、いよいよ、写真を撮るということがなくなってしまった。
コラムの仕事などを受けると、よくこんな風に、写真を添えてほしいと、いわれるのだが、
(断ると、勝手に古いのをどこからともなくさがしてきて、使ったりされるんだ、これが)。
わたし以外の著者の人々は、写真で困るということはないのだろうか?
写真に興味がない最後にして最大の理由。
わたしは、時をとどめるということに、興味がないのである。
というより、むなしさを感じるというのかな?
写真を撮って、そのときその時間をいったんは所有しても、しょせんそれは
過ぎ去ってしまうもので、あとでその写真を見返しても、
もうなくした時間を思い起こすのは、悲しいような気がするのだ。
たとえ、それが、楽しかった記憶でも。
同じ理由で、わたしはビデオも撮らない。所有してもいない。
ビデオやカメラをとっている同じ時間に、自分の目でいろんなものを見たり、
自分の耳でいろんな音を聞いたりしておきたいから。記憶は機械の中ではなく、
自分の中にとどめておきたいから。
気持ちも、感情も、そのときの思考も、その瞬間限りでいいと思っている。
時間の流れの中で、一度きりの生を過ごしたい。
過ぎ去っていくものを、とどめるのではなく、
不帰性のものだと常に感じながら、大事に生きていきたい。
さばさばと。未練を持たず。後ろを振り返らずに。
まあ、しかしそれにしても。
問題は、「少年少女新聞」の写真をどうするかなのだな。
明日猫でもだっこして、家族に写真を撮ってもらうしかないんだろうなあ…。
(00.7.7。七夕の日に)
ななんと、夕べ、某超メジャーサイトの管理者さまから、
「わたしが読むようになってから、雑感の更新がないようですが…」
という、うれしくも光栄なメールをいただいてしまいました(笑)。
なんていうか、いろいろと分不相応なほめ言葉もいただいたような…。
ひええ。ごめんなさい、北欧帰りの管理者さま。
穏和で控えめなリクエストにお答えして、雑感更新です。
ありがとうございますv
がしかし。今日の村山は仕事あとで、いささか疲れ気味なので、
たららんとした話になるかもしれません(笑)。ご寛恕ください。
昨日の朝に「風の丘のルルー4」の再校ゲラがきまして、昨日から今日にかけて
ゲラをやっておりました。「ゲラをやる」というのは、業界用語になるのかなあ?
渡した原稿が、編集者さんの手で本になる形に整えられ、印刷されてきた紙を、
作家の目からもう一度、ちぇーっく、とする作業です。
誤字脱字のチェックは編集さんの領分となっておりますが、やはり自分でも、
できるだけはチェックし(できるだけ…なんですけど・笑)、わたしは主に、
内容に矛盾がないかとか、人物のせりふ回しに統一ができているかとか、
そういうチェックを行います。これがけっこう、何度もなおしたり、
エピソードをつけたり削ったりしているうちに、矛盾が誕生してたりするのです。
ゲラは、ふつう、初稿ゲラ、再校ゲラ、と二回みる機会がありますが、
出版社あるいは、作家によっては、一度しか見ないこともあると聞きます。
一回しか見ない人って、すごいなあとわたしは思います。
わたしは自分の目と記憶力にあんまり自信がないので、できる限り
ゲラのチェックをしないと、怖いし、気持ちが悪いのであります。
だからゲラはできるだけ長くてもとにおいておきたい。でもそこは地方在住の悲しさ、
関東在住の作家さんたちより、一日早く郵便屋さんに渡さねばならないのです。
わたしは、今日、最後の方のチェックは、すぐに郵便局に出せるように、
郵便局の書き物机で行い(通りすがりの人々が手元を
のぞき込んでゆくのにはまいったです〜汗)、
二時半には速達の窓口さんに渡しました。
郵便局で作業をするといいのは、ガムテープはおいてあるし、大きな封筒は
窓口で丈夫なのが買えるということですね。らくちん。飲もうと思えば、
珈琲紅茶にジュースの自動販売機もありますし(笑)。
まあとにかく、わたしは、ゲラ入り封筒が郵便局のお姉さんの手で、
速達のはんこをぺったんと押されるのを見送り、心の中で手を振って、
近くにあるスパゲティーやさんで、遅れたお昼を食べたのでありました。
おなかがすいていたので、滅多に頼まないカルボナーラを頼んだら、
なんだかこってりとガーリック風味のカルボナーラで、
いやわたしは、某昆虫博士とは違って(笑)、ニンニクは好きなんですが、
一皿食べると、さすがにこってりしすぎてるなあという感じでした。
で、ゲラは精神を集中して行う作業なので、帰宅後夕方までわたしはどろーんと
しておりまして、夕方にポプラのNさんからファックスで、「あとがき」の
ぶんのゲラが追加でやってきたので、テーブルにべたーっと、
つっぷして、作業をし、ファックスしたのでありました(笑)。
とりあえず、これで、「ルルー4」に関しては、作家の仕事は終わりです。
一抹のさみしさはあるけれど、るるこさんはシリーズもので、次が書けると
わかっているので、単発ものを書くときよりは落ち込みは少ないです。
お仕事終了後に作家が落ち込むかどうかは、ずいぶん個人差があるみたいで、
仕事の終了後に使った資料が手元から離せなくて、ほとんど添い寝状態に
なってしまうこともある(笑)わたしのような作家もいれば、
「落ち込み? なにそれ?」というタイプの人もいるので、
ふしぎなものだなあと、思います。
どうも、キャラクターに作家がどれくらい思い入れをするかによって
そのあたり、違ってくるようにも思うのですが…。
もっというと、文章よりキャラクター重視、のタイプの資質の作家さんの方が、
自分の本の世界にはまりこんでしまうのじゃないかとも思います。
さらにいうと、わたしはキャラクター重視型の作家でありますが、
読む分にも、やはりキャラクター重視の作家さんが書く話のほうが、
好きなような気もするのです。もちろん、例外もありますけどね。
さあて。次はなにを書こうかな?
五年越しに直しをやっている某社の大長編か(すみませんみすてないで)、
岩崎書店の新しいシリーズものの、ちょっぴりだけの、直しか。
ポプラ社のとある秘密vの書き下ろしか(笑)。ふふふ。
なにか、そのあたりですね。
どのお仕事をしようかな?
どれでもいいんだ。楽しいから。
(00.6.19)
開設三週間目の日に
その昔、っていっても、ほんの数年前のことなのですが、新人童話作家だったころ、
よく先輩作家の方々に、出会いのチャンスをいただいていました。
それぞれの方々に、担当編集者さんを紹介していただいていたわけです。
わたしがあちこちの出版社でお仕事をさせていただいているのには、ひとつには、
そういうきっかけが多かったから、ということもあります。
それはとてもありがたく、また光栄なことで、同時に作家として生き残っていくために、
大切なことだったので、今のわたしも極力、新人作家さんたちをバックアップする
機会が回ってくれば(わたしごとき、レベル7の作家にも、たまにそういうチャンスは
あるのであります)、なにくれとなく、お世話なんか焼いちゃったりしています。
順送りというか、過去への恩返しのつもりで。
で。そういうことをしてると、たまにいわれるのが、
「結局は村山さんの気に入った人たちだけの力になってるのよね」とか、
「ひいきだよね」
なんて言葉だったりするわけで(苦笑)。
うー。なんていうのか。もうずばり書いちゃいますけど、たしかにわたしがやっている
ことは、「ひいきされない」側からみたら、「ひいき」かもしれない(爆)。
わたしは、わたしのお眼鏡にかなわない人のバックアップはしていません。
ただ、わかっていてほしいのです。
「自分の担当編集者に新人作家を紹介する」という行為の意味を。
作家にとって(少なくとも今のわたしにとっては)、担当編集者のみなさまというのは、
家族か友人か、それくらいに大切な人々です。自分の魂の領分とつきあってくれて
いるひとびとなのです。時として、世界中のだれよりも、わたしのことを深く理解して
くれるひとびとなのです。同志であり、戦友みたいなものです。
その人たちに、いい加減な人を紹介できますか?
紹介するわたし自身が、「この新人さんはすごい。天才的だ」と、
惚れ込んだ人だけを紹介するのが当たり前でしょう?
そうしてその上に、性格がいい人、
人並みに人付き合いができる人(この項目に関しては、
「なるべく」レベルでも可。実は、わたしも
人付き合いに自信ってあんまりないから・爆)かどうか見極めた上で、
担当の人に、「いい新人作家さんがいるんだけど〜v」と、声をかける、
それって、あたりまえのことじゃないですか?
過去には、「性格に問題があるように思えても才能がある人」や、
「才能はいまいちだけど、バックアップを頼まれた人」なんていう方々の
手助けもしたことがあります。
でも、そういう人たちは、それがきっかけで、なんとか一冊だしたとしても、
あとが続かないんですよね。結局わたしが判断して
だめな人というのは、他の人から見てもぱっとしないのかな、
とか、思ったり。で、そういう風に不発に終わったときは、
すごく担当さんに申し訳ないのですよ。
なんか、信頼関係を裏切っちゃったような気がして。
それがわかったから、今では、ハードルを高く設定しております。
この業界は、なるべくなら他人のバックアップがあった方が
よい業界です。でも、「いいえ、わたしは自力でがんばるの」と
いう人は(笑)、ひとりで茨の道をいくしかないでしょうね。
まあそういう孤独な人も、できれば表向きだけでも、人間関係はやっていた
方がいいとは思いますが…。この世界、新しい仕事は人脈がつれてくることが
多いように思えますのでねえ。
人間関係が苦手な人は、たった一つ、これだけは守るようにしてください。
「業界で、自分に好意を持ってくれている人にだけは、
嫌われないように努力する」
これは、効きます。大事なことです。
なぜって、わたしはこれだけで、七年間、この業界で生きてるからだよーん(爆)。
(00.6.14)
梅雨です。低気圧なのです。頭がぼーっとして、使い物になりませぬ。
ほんとは今日なんか、「マリリン3」の贈呈本のリスト(評論家さんや、
同業の偉いみなさまに差し上げるぶんの著者代送リストというものです)の
作成をしなきゃならないんだけど、その気力がないというか…。
夜になると多少元気になるのはわかってるので、ミュージックステーションでも
みながら、リスト作成をしようかと思ったり…。今、真夜中にアニマックスで、
「天空のエスカフローネ」が放映されているので、どうせそれまでは起きてなきゃ
ならないんだし、夜の作業の方がはかどるよなあとか思ったり。
(あ、「エスカ」は、妹尾さんのサイトに出入りしているうちに、なんか、
ひかれていって、今回はじめてみているのですが、もはや、
第四話にしてのめりこみつつあります・笑。アレンさま、かっこいいっv)。
ああ、産経新聞の書評候補の(今度こそおもしろいはず!)の「竜と舞姫」も
読まなきゃだしな。「るるよん」のゲラが今日とどくって、ポプラのNさんから、
昨日メールがあったから、そのつもりでいなきゃならないし…。
ふう。忙しい週末になりそうです。
でも、モデムさえ変にならなければ、チャットにはいくつもりv
「はるかな空の東」と、「やまんば娘」に、ひさーしぶりで増刷がかかりました。
でて何年にもなる本に増刷がかかるのって、児童書じゃ珍しい(当社比)ので、
ほんの少しの部数だけど、それはそれはうれしかったです。
かってくださったみなさま、ありがとうございます。
児童書は今や、生鮮食料品と同じで、お店の棚にあると思ったらすぐに買わないと、
ほしいときにはもうなくなっています。悪くすると絶版になったり、断裁といって、
ざくざくに切られてしまっていたりします(泣)。
本屋さんの児童書のためにとることのできるスペースは限られていて、なおかつ、
年々縮められていっているので、なのに、本の出版数そのものは増えているので、
本屋さんは次々に本を並べ替え、入れ替えていかないと、商売にならないのです。
新しい本を売るために、古い本は返されてしまうのです。
返された本の末期は、時として哀れなのです。
もちろん、ロングセラーだったりして、細々とでも売れることがわかっている本は、
本棚の片隅で生き延びることができるし、書店さんによっては、いちばんめだつ
ところに飾られていたりもします。
でも、日本の児童書で、「ちょっとだけ変わってる本」とか、「ちょっと気になる本」
レベルの本は、軒並み入れ替わり、消えていってしまいます。−−その書店さんに、
目利きの人や、なんらかのポリシーを持っている人がいない限りは。
もし、図書館で読んで気に入った本があったなら、その本を一冊かえるだけの
お金があったなら、どうぞその本を書店さんで入手して、手元に置いてください。
手に入るうちに、買ってあげてください。
本屋さんや出版社や作家、画家のためというより、あなたの好きなその本が、
断裁処分にされて、二度と手に入らなくなる、そんな目にあうのを、
その可能性を、少しでも減らすために。
(00.6.9)
今夜の晩ご飯は、手羽先とニガウリのはいったカレーだったのですが、
途中で電話が鳴りました。同じ同人誌のお友達の長崎夏海さんだったのですが、
用件のあと四方山話をするうちに、わたしが「季節風」に書いたF・リア・ブロックの
書評がその本の翻訳家の金原瑞人さんにとても喜ばれたという話になりました。
で。やっぱりほめる書評の方が人に喜ばれて気持ちがいいなあと思いました(笑)。
そういうわけで、その「季節風」に書いた書評に手を入れたもので、書評コーナーを
立ち上げることにしました。どうぞ、ご覧ください。
わたしが本をほめるときは、こんな感じでございます。
あ、そうだ。長崎夏海さま、協会賞受賞おめでとうございまーす!
(みてるかな・笑?)。
あ〜あ。今年の協会賞、わたしも最後の十作までは入ってたのにな(笑)。<奇跡
わたしにはきっと、永遠にとれないんだろうな、児童文学者協会賞って。
そうそう。本日、「マリリン3」の見本が手元に届きました!
じゃじゃん! 表紙カバーをめくると、ななんと、下地は漆黒!
それに白で英語のタイトルが入ってるのだ!
はっきりいって……児童書じゃないみたい(爆)。
教育画劇のH氏の情熱と心意気が感じられます!
今回は、今までの二冊と比べて、活字もなんだか黒々としていて、
大人っぽい感じです。でも素敵な仕上がりなので、早くお店にならばないかな、と
思います。わたしの本は、その……児童書ジャンルでは、わりと売れ筋なので、
児童書専門の本屋さんなら、平積みになる可能性大ですが(わかっているところ
ならね。そうでないところはしらないよ〜)、どうなるかなあ?
新刊がでる度に、毎度のことながら、平積みになるかどうかでどきどきします。
あとは、TRCのベルに載るかどうかですね。今度はどうかなっ?
掲示板にも書きましたが(笑)、e−oneのモデムが昨夜急におかしくなりました。
あたかも、鳶が拡声器を使ったかのような高音の異音とともに、
接続ができなくなったり、かと思うと接続が切れなくなったり、
ポルターガイストに襲われたがごとき、不条理な事態に見舞われる、
e−oneなのでありました(笑)。
にたようなことは前にもあったので、再起動とか、電源を切るとか、
ポスペの再インストール(これでなおったこともあるので)とか、
いろいろやってみましたが、治らなくて、ついには、二分間接続すると
自動で切れる、というわけわかんない状態になり…。
村山は苦悩したあげく、明日朝起きたらソーテックのお客様窓口にでんわ
するべ、とか決心して、疲れ果てて寝たのでありました。
寝ながら、「修理にだす前に、こんなこともあろうかといれていた(by真田さん)、
『HD革命バックアップ』のレストア機能を使ってみようかな?」と、思い、
わたしは今朝、妙に張り切った気分で起床したのでありました。
実験です! こんなことでもなければ、バックアップソフトの機能を試すなんてこと、
できないじゃないですかあ?<こういう性格だから、パソコンを壊すのか?
わたしは、MOにせっせとデータを落としはじめました。基本的なバックアップを
Dドライブにとってから、いろいろデータが増えてますものね。
で。いろいろ拾っているうちに。
一応最後に、メールチェックをしようかなと思ったのです。
すぐにぶちきれる接続でも、メールチェックぐらいはできるでしょう。
異音に耳をふさぐ覚悟をしつつ、接続。
…あら? 素直に動いてるじゃないの? え? なぜ?
結局、なんだったんでしょう? 今もモデムは正常です。
でもわたしは、安心しません(爆)。だって、今が小康状態なだけかも
しれないし。
今年は夏頃、収入が集中する予定なので、ノートパソコンを買おうと決意しました。
少し無理をしても、LavieSのできれば新しいものを買いたいと思っています。
だって、LavieSきれいだし、スピーカーが6つだかついてるし、
大手のメーカー品は修理にだすとき、楽なんだもん(笑)。
メインで使うのはいとしのe−oneですが、もう一台あると、今度みたいに、
トラブルがあったとき、気持ち的に楽だなあと思いまして。
ほーんと。一晩でまた、寿命が縮んじゃった。はあ。
(00.6.7)
6月2日付「雑感」で、ちょっと書評風に取り上げた本について、児童書業界の、
パソコン道及びゲーム道及び、椋鳩十賞受賞の先輩作家である、
ひこ田中氏より、忠告のメールをいただいてしまいました(汗)。
で、ちょっと反省してます。
ひこさまのメールの内容を要約しますと、つまりは、ああいう書き方をするのなら、
書名著者名は明記した方がいいということでして、その理由として、
「あの文では、その本を読んでいる人はみんなその本だとわかるけれど、
でも、書名がないので、反論ができない。あの文は読むぶんにはちゃんとした
書評なので、書評のかたちにしてもらいたい」と。
そうかあ、と思いました。反論を封じるために書名をふせたわけじゃないんだけど、
結果的にそうなるのなら、意味は同じになっちゃいますよね?
作家側からみたら、闇討ちと同じに思えるのかな?
それはいかんと思ったので、急遽、書名著者名を発表します。
「日高見戦記」(小野裕康著・理論社・00年4月刊)です。
なお、6月2日付「雑感」については、あのまま保存しておきますが、同じ内容で、
きちんと書評らしくまとめたものを、いずれ、「書評」のコーナーに発表したいと
思います。批評の大先輩ならぬ、超先輩のひこさまに、「ちゃんとした書評」だと
い…いちおうは、書いていただいたわけですし。
(こういうことでこういうときに喜んでしまってもいいものだろうか?)
「日高見戦記」には、おかしなふうに、注目を集めることになってしまいましたが、
みなさま、どうぞ、読んでみてください。そして、「村山さんは、あんなふうに
書いたけど、こんなにおもしろい本だったよ!」と、教えてください。
掲示板に、そういう書き込みがある日を待っています。
わたしはあの本をおとしめたくて、あの雑感を書いたわけじゃないのですから。
(00.6.6)
<追記>その後、理論社さんのほうから、「よい酷評はほめる書評より作者を育てます」という主旨の
メールをいただきました。…さすが理論社。懐が深い出版社なのでありました。
サイトオープンから、今日でめでたく一週間なのです。
てことは、「よし、今日からHPを作るぞ」と決意してから二週間?
…そう思うと、ずいぶん長い年月がたったような、あっという間だったような。
気がつくと、魔法のように「風の丘通信」ができていたような気もします。
今はまだ、検索エンジンにも引っかからないこのサイトです。
訪れる人も、やさしい友人知人ばかりで、たまに少々波風がふくことが
あっても、おだやかに収まっているようです。
わたしは毎日、少しずつ、トップページのレイアウトを変えたり、
文章をいじったりして、園芸でもするような気持ちで、
自分のサイトとつきあっています。
昔から、小さな生き物を−−動物でも植物でも、育てるのが好きなので、
このサイトもそういう気持ちで、少しずつ大きくしていこうと思っています。
どんなものになっていくのか、今の段階では、私自身わかりかねるところが
ありますが、どうぞ、みなさま、おつきあいください。
このサイトが、それなりの形にまとまるその日まで。
ええっと。それから。
みなさま、どうぞ、掲示板「カフェ・かもめ亭」のほうへ、いらしてくださいね。
マスターchaykaが、さまざまな飲み物をお出ししております(笑)。
楽しいメンバーといっしょに、文学とお茶の時間を過ごしましょう。
では、おまちもうしあげております…。
(00.6.5)
〜「地下迷宮の冒険〜魔法少女マリリン3」の見本ができあがった日に
昨日付けの雑感で書いたことについて、わたしがその本及び、本の著者に対して、
怒りをおぼえているとか(笑)、怒りのままに書いたとか(笑)、
そんな風に誤解している人がいるってことがわかりました。
で。ひとりいるっていうことはもしかして他にもいる…?
と思うと、やっばー、という気になってきたので、一応ここに書いておきます。
当サイトは、書評サイトでもあります。
あ、いっちゃった(笑)。もうこれで後戻りはできないな(爆)。
村山早紀は、十代のころから、児童書評論を読むのを趣味の一つと
しておりまして、老後は評論家にクラスチェンジをするべく、ただいま、
経験値をためているところでございます(笑)。今現在、だいぶたまって
きているので、産経新聞の書評欄などでも、書評を書いておりまする。
だから。わたしが本についていろいろ書いているときは、それは趣味とかで
書いてる読書感想文じゃなく、人に読ませるために書いている、
書評なんだよーん。
あ、こういう語り口がいけないのか。うーむ。
でも、同人誌季節風でごいっしょだったみなさまはご存じのとおり、
わたしはずっとこの口調で本について語ってきましたので、
今更、あらたまった書き方はしづらいんですよね(汗)。
こういうふざけた奴ですが、わかってください。
趣味や好き嫌いで、人様の本にけちを付けたりはいたしません。
(大体、わたしだって作家なんだから、自分がされていやなことはしないよ)。
もひとつ。うちの掲示板で、人の本の批判をするときの悪い例。
「村山早紀の新刊読んだけど、最低。3ページ読んでやめちゃった。
あれでよく作家やってられるよね? 村山の本って、大嫌い」
こういう書き方はしないでください。かくとしたら、同じ内容でも、
「村山早紀の新刊を読んだけど、イントロがつまらなくて、読むのやめちゃった」
こんな風にお願いします。好き嫌いとか、作家存在そのものに対する侮辱は
なるべく書かず、客観的にお願いします。ようは、自分がもし作家だとして
こういう場でいわれたらいやだろうということは書かないでほしいということです。
で。客観的な「酷評」なら、わたしも参考にしたいし、掲示板の他の読み手の
みなさまたちも、興味深いと思いますので、大歓迎であります。
(だからって、村山の本の酷評なんかきたら、泣いちゃうかも・笑)。
(00.6.3)
産経新聞の書評候補で回ってきた本を読んだ。
あまりにも…なので、T氏に連絡を取り、他の本に変えてもらう。
で。そのアレな方の本については、一瞬、書評コーナーで取り上げようかと
思ったが、書評コーナー立ち上げの記念すべき一冊目が酷評じゃあ、
暗黒系書評サイトの誕生!みたいになってしまうので(笑)、
わたしのめざしているのは、そういうもんじゃないもので、
こっちの方に書くことにします。
で、書名著者名や詳しい設定を書くと、さらしものにしてしまうことに
なるので、そのへんはあいまいにさせていただきます。
わたしが今から書きたいのは、その本一冊に文句を言いたいってこと
じゃなく、日本の児童書のファンタジーや冒険小説に、あまりにも多くみられる
欠点が、その作品にもみうけられるってことなので。
曖昧にその本の設定を書かせていただきますと−−昔の日本が舞台です。
とある有名な武将が東北に遠征することになりまして、
主人公はその武将をしたって、ついてゆく少年です。
彼は、武将が率いる軍と、東北の人々や魔物たちとの連合軍との戦いに
巻き込まれ、その中で隠された意外な真実を知るのです。
恋あり策謀あり、魔法あり、合戦シーンあり、の派手なお話なのですが、
読んでいても、おもしろくないです(爆)。<おい
だって、主人公がお人形さんみたいなんだもん。
少年は、常に人のいうとおりに行動します。
「どこそこへいきなさい」といわれて移動。<このくりかえしで、
物語が終わるんですぜ。いやはや。
少年は、主人公なのに、カメラ視点をやってるだけ。
作者の都合がいいように、ものを追いかけたり、誰かのところにいったり、
おぼれたり、偵察したり、おそわれたりと、忙しいんですが、
自分の手でなにかをなしとげるということがありません。
はっきり言って、この子がいなくても、この物語は成立します。
まあ、せめて最後に、武将を自分の手で殺そうとするくらいすればね
(はずみとかでもいいから)、逆転できたものを、
この子は最後まで「みてるだけ」。ああ…。
それから。この子はなぜか、いろんなキャラクターにすかれます。
謎の美少女とか、武将さんとか、兵隊仲間とか、コロボックルとか。
宇宙人にまで、なぜかすかれます(爆)。
(宇宙人でてくるんですよ、この話。頭いたい)。
読んでいて、なぜすかれるのか、とっても不明。
だって、この子は、ひたすら、流されてるだけの子なんだもん。
で。日本の児童書で「冒険ファンタジー」とか「歴史ファンタジー」
なんてふれこみで出版される作品って、こういうの、多いんですよね。
「ドラマチックな設定と状況の中で、ひたすら流されるだけの主人公が、
なぜか、他のキャラクターたちにひとりで好感を持たれ、未来とか託されて、
あちこち移動しながら、カメラ視点をひたすらつとめる物語」(爆)。
まあ、それらの失敗作に共通していえることは、主人公の内的必然性が
書かれてないっていうことですね。はっきり言って、エピソードがたりない。
今回の本にしたって、ひたすら状況に巻き込まれるこの少年に、
なにか、「のりこえたいもの」や「かけているもの」が設定されていれば
よかったんです。そのなにかを満たすために、少年は旅すればよかった。
そして、そういう「かけた」自分を克服するために旅する主人公なら、
自ずと魅力的になるはずですから、他のキャラクターにすかれたって、
不自然じゃなくなるのです。
これが現実にあったことなら、少年は、この物語でそう設定されているように、
事件を追いかけたい、合戦で手柄を立てたい、友だちに誘われたから、
なんて理由で行動することもあるでしょう、でも、物語を作る上では、
それプラス、少年の内部に、旅に関わらなきゃ生きていけないと思える
ほどの、熱いなにかが必要なんです。
物語の終焉とともに、旅の終わりとともに、少年の中でなにかが
解決する。内的な旅の終わり。
それが、冒険ファンタジーなんですよ。
ああ、上手くかけているいい例を思いついた。手塚治虫の「どろろ」。
どろろと百鬼丸の、あの旅こそが、ほんとの冒険ファンタジーです。
それか、小野不由美の「十二国記」ですね。こっちがわかりやすいかな?
なんてこと書いても、わかんないひとにはわかんないんだよねえ。
はっきり言って、主人公の内的必然性については、
マンガや、ライトノベルス系の作品の方がよくかけていると思います。
うちの業界じゃあ、不当に評価が低いですけどね、あちらの業界に対して。
ずいぶん、失礼な話だと、わたしは、いつも思っているのです。
(00.6.2)
昨日書いた文章をつらつら読み直すと、現代国語のテストにでそうなのり
だわねとか、思ってしまったので(爆)、せっかくだから問題を作ってみました。
(問題)5月31日付の村山早紀の雑感を読んで、下の問題に答えなさい。
このとき、作者の胸に去来した思いは以下の三つのうちのどれか答えなさい。
ア・雨の日はやっぱり気が滅入る。何でいつまでも雨が降り続くんだろう?
まさかこのまま梅雨になるんじゃないだろうな? 雨が降って喜ぶのは、
シダ類と某夏緑博士くらいのものなのに。滅入るついでに、子どものころにみた
怖いフィルムのことまで思い出してしまった。こんなことなら、
外出なんかするんじゃなかった。
イ・こうやって、豪華な商業施設が、最果ての地、九州長崎にまでできるように
なった。自分は気ままに小説を書き、猫とたわむれて暮らしている。
それもこれも、
過去に礎となってくれた、無辜の民の犠牲があってのことである。
私たちは、彼らへの感謝の気持ちを忘れてはいけないのだ。
ウ・人の生き死には、時間の中で、流れる水のように、はかなくとりとめもなく
過ぎてもののようにゆくように思える。しかし、
戦争の時代、むなしく死んでいったように思われたひとりの女性は、
本人には想像もつかないような形で、今も大勢の人々の
心に息づいている。そのことに作者は、ほとんど宗教的な意味での、
感動と、救いを感じている。
さあ、正解はどれでしょう(爆)?
いくら何でも答えを間違える人はいないと思うので、正解は書きませんが、
現国の三択って、必ず、「どう考えてもこれは正解じゃないだろう」ってのが、
アとかにきますよね(笑)? あれって、せめて正解の確率を二分の一に
してやろうという、先生たちの親心なんでしょうか(笑)?
で、イは、内容的に一部正解がまじってるのね。正解はすると…。
ついでに、「作者が思ったことについて、三十字以内で感想を」述べて
くださると楽しいだろうと思いますが、忙しいのでわたしゃ採点はしません(笑)。
(00.6.1)
雨降り続きで気が滅入る中、猫どものドライフードが底をついたので、
買い物に行く。そういえば、買い損ねていた雑誌があったのだと、
紀伊国屋書店が入っている複合商業施設にゆく。
そこは、つい最近オープンしたばかりの、臨海にある巨大な建物で、
土地のない長崎市にたっているものだとは思えないほど、
広々とした施設なのである。
たくさんの知らない人たちが、いっそ無機質な感じがするほど、
きれいな装いをして、よそ行き風に歩いている。
商店街を歩いているのとは違って、知人に出くわすこともなく、
話しかけてくる店員さんがいるほど、わたしはここに、
まだなじんではいない。広々とした店内を、水槽の魚たちのように、
ふれあうことのない人々が、無数に歩いている。
これもまた長崎離れして広い紀伊国屋書店へ行き、しかし目的の本はなく、
あらあらとうなだれながら、ペットショップでキャットフードを買って
建物を出る。出口から、雨で灰色に煙る海と、白い空が見える。海と空の
間には、黒い、昔の中国の復元帆船が所在なげに係留されている。
バス停まで、傘を差して歩きながら、久しぶりに思い出した、
一つのイメージがある。
バンザイ・クリフである。
崖から、もんぺ姿(だったと思う)の女が飛び降りている。
太平洋戦争の時、日本軍が占領していたトラック諸島のサイパンが、
今度はアメリカ軍の手で占領されたとき、
現地にいた日本人の女たちが、降伏することを勧めるアメリカ兵たちの
ことばを聞かずに、延々と崖から飛び降りる−−それを、
アメリカ兵たちが撮影した、そういう有名なフィルムの一こまを、
思い出してしまったのだ。
あれは、たぶん小学生くらいのころに、NHKの戦争特集かなにかで
みたのだと思う。その番組の中でおそらく編集されていたものだから、
飛び降りる女たちは、ほんとうはどれほどの数いたのか、
どれほどの数の死がフィルムに記録されていたのかはわからないのだが、
わたしのみたフィルムでは、3人から4,5人くらいは、
崖から飛び降りた、と思う。
それが、最初の数人は、「さあ、いかなきゃ」というように、
ぱあっと飛び降りていくのだが、最後のひとりが、
なかなか死ねないのである。
崖の上、ぎりぎりのところを、右へ走り、左へ走り、
もうどうしても、怖くて飛び降りられないというようすが、
白黒のフィルムをみていてもわかるのである。
でも、女は最後にとうとう、飛び降りてしまう。
決してかっこいい飛び方ではなく、
荷物が落ちるような、情けない落ち方で。
あの日、子供心に思ったことを、わたしは今もおぼえている。
たとえ、どんなスーパーヒーローがいても、
昔に死んだあの女を救えるものはだれもいないのだ、と。
今もおぼえていて、ずっとおぼえていて、
これから未来も、おぼえているだろう。
あの女の、右へ左へと小走りに走る姿を。
どうしてもすぐに飛び降りられなかった、
「いさぎよく」死ぬことができなかった姿を。
その後、教科書か新聞の記事で、女流詩人が書いた詩を
読んだ。「どこへおちてゆくのだろう/あの/女」ということばで
終わる詩は、バンザイクリフの女たちのことをうたった詩で、
わたしは、この人の心の中でも、あの最後に飛び降りた女は、
飛び降り続けているのだな、と思った。
あのフィルムをみた人々の心の中で、あの女は迷い続け、
何度でも、崖から落ちてゆく。
この先どんな未来になっても、ひょっとして、
二度と戦争なんてもののない世界になっても、
あの女は、いつまでも死に続けるのだ。
永遠に。不死の人のように。
(00.5.31)
で、お約束の、一週間の思い出ですが(笑)。
今思うと、毎日した作業の記録を残しておけばよかったですね。
あとで自分でみてもおもしろかったでしょうけど、ここに書けば、
いいネタになったのに(爆)。
今振り返ると、朝から晩までパソコンの前にいたから、
パソコンが異常に過熱していたとか、人間も足腰が痛くなったとか、
寝るときは目の前にe−oneの画面がうつったとか(笑)、
猫二匹が「かまってくれ」と騒いで暴れたとか、
その猫どもの毛の手入れをしていて、
毛玉ができていたので、はさみで切ろうとしたら、
睡眠不足がたたって、わたしの指を切っちゃったとか、
あ、左手人差し指の皮だけですけどね、でも血は出た。
ベランダの植木の手入れをしようとして、
近くにあったサボテンの上に手をついて、
まるでマンガのように、手がハリネズミ状態になったとか(笑)、
アップロード当日の日には、気もそぞろだったので、
朝食のトーストをまともに咀嚼することを忘れて飲んで、
のどに詰まらせそうになったとか(笑)。
何とも微笑ましい思い出ばかりで(大笑)、ほのぼのするばかり。
いろいろ悩んだことなんかも、けっこうなんとかなっちゃったし。
そうそう。いろんな人から
「HP作るの難しかったでしょう」とかいわれたんですが、
HPビルダーを使って作る分には、タグとか属性とかHTMLとか、
まーったく、しらなくても作れるんですよ(笑)。
だってほら、わたしがこうして作ってる。
ビルダーだと、作成する画面では、
左側に素材やファイルの中身が絵で表示される窓が
できまして、それをドラッグ&ドロップで、右側のワープロ
みたいな雰囲気の窓に落としていくだけなんです。
文章は、右側の窓に、直接打つだけです。
更新も、「前回から変更のあったファイル」だけを選んで
送ってくれます。偉いぞ、ビルダーくん!
たった一つ、文句を言うなら、やっぱり取説が
取っつきにくいということでしょうね。
一生懸命わかりやすくしようと作ってあるのは感じるの
ですが、わたしは最初開いたとき、途方に暮れました。
まあ、実際作ってみると、取説の記述が飲み込めるように
なるのですが、やはり、わたしのような初心者が
ビルダーを使うときは、本屋さんに何種類か並んでいる
ビルダーの参考書(笑)を買った方が良さそうです。
でも、ほんとうに使いやすいですよ、HPビルダー。
…けどね(笑)。ほんとのこというと、わたしが
一番気に入っているのは、お城の形のアイコンかも(爆)。
あまりにもかわいいので、トップページにバナーも飾っちゃったし。
あれ別に飾らなきゃってこともないんでしょうけどね、
素材集になにげに混ざってるんだもん、かわいいじゃないですか。
自分のサイトをチェックするたびに、トップページの下半分の、
アニメで動くものが並んでいる領域で、にやにやしているわたしです(笑)。
今日はお友達の作家、みおちづるさんの、椋鳩十賞の授賞式です。
みおさん、ほんとうに、おめでとう!
(00.5.30)
ええっと、ただいま、ほんとに(ってのもなんですが・笑)、
5月29日になりました。ああ、なんか、感無量(泣)。
と、いうところで…。
一週間の思い出(あるいは戦いの記憶・笑)
と、いう文章を近々書くと思いますが、今はもうさすがに
疲れ果てていて、ギャグが浮かばないので(笑)、
も少し待ってくださいまし。
なにが疲れたって、最後の「サイト転送」ですね。
掲示板にも書きましたけれど、いきなりソフトから、
「書き込み権限がありません。転送先フォルダまたは、
転送先ファイルの確認をしてください」
なんていわれた日には、心臓瞬間冷凍、寿命は「恐怖新聞」一年分の
購読料くらい、縮むってもんですよ。マウスが汗ですべってしまった。
そりゃ、ネットの世界とかパソコンに詳しい人なら、
動じないことばでしょうが、初心者には、怖いですよ、このことば。
書き込み権限、ですよ。偉そうなたいそうな響きなんだもの。
まあ結局は、ジオのHPにいって、市民同士の助け合いコーナーみたいな
ところで、過去ログから答えを検索したんですが、
(わたしみたいな初心者の人のために書いておきますと、結局は、
送ったファイルの中に、サーバーが受け付けない名称のものが入っていたと
いうことなんです。すぐに治せる単純なミスでした)。
かなりうろたえましたね(笑)。
この一週間の時間との戦いもシビアでしたが、ラストの
書き込み権限がありません攻撃は、わたしにとって、
RPGもののテレビゲームで、ラストボスを倒したと思ったら、
復活してきたとか(笑)、「ほんとうのラスボスはこのおれさまだ!」
とかいって、凶悪に強いモンスターが登場してきたような
(直接攻撃も魔法攻撃もできて、何ターンかに一回は自分を回復して、
味方のパーティーに全体攻撃でダメージを与えてくるような・笑)、
それくらいの恐怖感がありました(笑)。
いやはや。
(00.5.29)
2000年、5月29日に、ついに自分のホームページを持つことと
なりました。5月が一番好きな月なので、絶対に!5月にスタート
するんだ、とか、思っていたのですが、ぎりぎりなんとかまにあって、
ほんとうによかった。
5月は、木々の緑の色が、とても美しい緑色になるので、好きです。
風が耳元で、ほうほうと、やさしい音を立てるので、好きです。
それから。
うすいブラウス一枚で、街にお出かけできる季節、そろそろ袖まくりを
しようかな、なんて思える季節・・・っていうか、月なので、
好きです。重たいコートを着る季節の、真冬も好きなんですけどね。
しかしまあ、お仕事の間を縫っての突貫作業だったので、
ええ、このHP作成のことなんですが、
やはり一日中パソコンの前にいて、明け方までビルダーと
たわむれて…ということになりました。
「なりました」っていっても、これを書いている今は、5月25日だったり
するのですが(爆)。お仕事がちょっと時間があいたのが23日、
その日がちょうど大安だったりしたもので(笑)、ジオにスペースを
とりにいって、そのまま用意していたビルダーをインストール、
その日のうちに、トップページの作成まではしてみたわけです。
さすがに疲れましたけど…。もう若くはないんだなあ。
しかし、人間やればできるものです(笑)。
ホンというと昨日の段階で、サブページとの間のリンクとかもはったし、
もう今日は、アップできる体勢にはなってるんですけど、次の大安の
29日までは、がまんがまん。大体、トップページに、
「since 2000.5.29」って、書いちゃってますからね(笑)。
でも…あとで気づいたんですけど、29日って、大安だけど、三隣亡
だったんですねえええ(泣)。ひいいいいい。
私は超文系ですが(笑)、パソコンは好きかもしれません。
やるべきことと、結果が、ちゃんと筋が通っているところとか。
一つの作業をおぼえると、応用がどんどん利くところとか。
それで、おもしろいおもしろいと、いじったあげく、ウインドウズの
再インストールは買って三ヶ月の間に3回はやったかな(泣)?
買ってすぐに、CDプレイヤーをおかしくして、ぐるぐる回る無限地獄
状態にしたりね(笑)。フリーソフトいろいろいれてタスクバーをおかしく
したりね(笑)。ふふふ。ふふふ(泣)。
そんなわたしの愛読書は、「東京トホホ会」。わたしは
初心者トホホの見本です。投稿できるネタなら、山ほどに。
(00.5.29)