★東京旅行記★




ホテルの部屋から見た夜景
(撮影・すず猫さん)

左下にいるのは、桐矢さん制作の服を着た、ルルーちゃん人形です。



お約束の東京旅行記です。
2000年12月11日から14日までの三泊四日、東京へ旅行しに行って来ました。
12日の夜に行われたポプラ社のクリスマス会に出席するためです。
この年末の上京は、わたしにとっては、もう三回目になる年に一度のそれは楽しみな
イベントなのです。「年末の旅行のために、がんばろう」そう思って、
わたしは一年間、せっせと働くのでした。
そして、クリスマス会の前後、ポプラ社以外の出版社の担当の人たちともあう、
それがまた、とても楽しみなことなのでありました。

さて、11日。
長崎を10時45分発のJAS362便で出発するはずだったわたしは、空港までのバスの
所要時間約45分よりもかなり余裕を持って、リムジンバスに乗りました。
8時少し過ぎくらいのバスだったと思います。バスは快調に長崎駅を出発し、
一般道を走り、難なく長崎自動車道に入りました。
すると。渋滞してるじゃないですか? 車が数珠繋ぎ状態。

実はこの長崎自動車道、渋滞がまずないことで有名な高速道路で、その昔、わたしが
道路交通情報センターでアルバイトしていたころは、時間が足りないときは、
高速道路情報についてはやらない、なぜなら絶対に混まないから、という道でした。
それが混んでいる? なぜに?
バスの運転手さんが、無線でやりとりしたりしていましたが、やがて、マイクで、
「どうも事故があったらしかです。急いでるお客さん、いらっしゃいますかね?」
がーん。
実はその朝、わたしは仏壇に線香をあげるのを忘れてきていたのです。
これは、父がたたったかと思いました(ごめんね、パパ☆)。
こういうときのiモード、わたしはまるで、雑誌かパンフレットに載っている人のように、
iモードで事故についての情報を仕入れてみました。地元長崎放送のサイトにつなぐと。
「未明に長崎道で、交通事故」とあります。
…未明の事故が、こんな時間になるまで復旧作業がつづくものだろうかと思いましたが、
なんとなくなっとくして、わたしは「iモードにしてよかったわ」と思いました。
実は、Iモード、この旅行のために、はじめたものだったのです。
三泊四日も東京にいるあいだ、メールで連絡が取れたら便利かな、と思ったのですが。
たしかに便利じゃあったんだけど、これがまた…という話は、またあとで。

と、運転手さんに向かって、若い細身の女の子(学生さん風)が、声を上げました。
「あの、わたし、飛行機の時間があって急ぐんです」
「何時の飛行機にのるとですか?」
「9時10分です」(とかそんな時間だったと思う)。
運転手さんは絶句しました。「あんたそりゃ、このバスはふつうに走っても、ぎりぎりの
時間しかつかなかったですよ。もっと早かとにのらんば!」
女の子は、無表情に黙っています。
「ああもう、まにあうかどうかわからんけど、とにかく走るから」
一方、運転手さんは、明るく表情豊かなおじさんでした。
運転手さんはいいましたが、どうがんばっても、とにかく車はのろのろ運転。

結局一時間半くらいかかって、空港に着きました。最後までバスに乗っていたのは、
わたしとその女の子、ビジネスマン風の人の三人でした。
バスが空港への橋(長崎空港は島になっているのです)を渡る少し前だったか、
運転手さんが、若い女の子にいいました。「今無線で、飛行機に少し待っていてもらうように
たのんだから。だからすぐにいってくださいね」
そんなことできるんだあ、と、わたしはびっくりして感動したのですが、女の子は、
なんだかぼーっとしていました。さて、ぼーっとしたお嬢さんのきわめつけは、
降りる間際になって、ふうっと、幽霊のようにわたしの後ろにたって、いきなり、
「あの、五千円札、両替できませんか?」ときいたことでした。
その顔が、また、無表情だったり。声も平板だったし。
さて、その声を聞いて、ほとんど絶叫したのが運転手さんでした。
「えーっ!」と、叫んでいました(気持ちは分かる。高速バスが両替できないって知っていて、
どうして千円札を持たないでのったんでしょうか、このお嬢さんは?)。
わたしはそのとき、自分がいくら持っているか知っていたので、「悪いけど」と、
断って、走っていくビジネスマンの跡を追って、バスを降りました。
でも、振り返りました。千二百円くらいのことなんだし、早く降りたいだろうし、
お金上げてもいいかな、と、思ったのです。お金のことを考える余裕もないほど、
急いでバスに乗らなくてはならないような理由があったのかもしれないし。
が。
その子はそんなに困った風でもなく、あいかわらず、無表情なんですね。
そうこうするうち、「ああもう!」と叫びながら運転手さんが釣り銭をさがしはじめたので、
一応、運転手さんに黙礼してから、わたしはその場を去りました。

…教訓。困ったときは困ったような顔をしよう。演技でもいいから。
ちなみに、長崎自動車道の大渋滞は、帰宅後母から聞いた話だと、ニュースになって
いたそうです。なんでも、「未明の事故」のあと、さらにもう一度か二度の事故があった
らしかったのでした…。けがをした方が出たそうです。

さて。長崎空港は、人のざわめきとたばこのにおい、人々から漂うはりきった気分で、
いっぱいでした。朝ご飯を食べていなかったわたしは、売店でおにぎりとトマトジュースを買いました。本当は長崎空港のレストランの鳥の唐揚げがおいしくて大好きなのですが
(揚げたてを食べると、涙が出るほどおいしいんです〜!)、約二時間飛行機に乗るあいだ、
飛行機がゆれたらと思うと、さすがにたべられませんでした。朝だったしね。
待合室では、咳をする人が多かったので、なるべくそばから離れるようにしていました。
本当はそういうの好きじゃないんだけど、ホテルで寝込んだら目も当てられないし、
ぎりぎりにつめているスケジュールが実行できなくなります。
やなやつだよね、とぼやきながら、露骨に風邪ひきの人を避けました。
そのうちに、ポプラ社のNさんから携帯にメール。「空飛ぶchaykaさま」とあてた
メールには、「無事についたら、連絡ください」とありました。これがなんだか、
すごくうれしかったのでしたv
旅行というのは多分、待っていてくれる人に会いに行くのが一番幸せな旅行なのかも
しれませんね。ううん。そもそも、旅行というのは、人にあうためにするものなのかも。
だって、知らない土地に出かける旅行でも、そこで誰かと出会うのは同じなのだから。

飛行機は到着が遅れましたが、無事、飛び立ちました。席は後方の翼の後ろのあたりで、
空気を切って飛行機が飛び立つとき、長崎上空にかかっていた薄い雲を翼が切るのが
見えました。翼に灯る明かりもよく見えて、なんだか点滅するその明かりを見ていると、
飛行機がけなげなような気がしました。もし飛行機に魂があるとしたら、
やっぱり飛行機は飛ぶことが好きで、人間を乗せていることが好きなんでしょうね。
JASは機内は狭かったけど、乗務員の人たちは親切で、感じがよかったです。

さてさて。飛行機はぐんぐん飛んで、根性で飛んで、途中にあった機長さんのアナウンス
「向かい風の状態で飛ぶので、到着が遅れるかもしれません」
にもかかわらず、ななんと、定刻より五分早く、羽田空港に着陸しました。
…たしか、送れて飛び立ったはずなのに。どうして早くついたんでしょう???

懐かしの巨大空港、羽田空港には、いとしの友すず猫さんが待っていてくれてました。
今更書くのもなんですが、彼女とはもう十年くらいもオフでおつきあいがあるのです。
HPやってよかったと思う理由の一つに、彼女と毎日のようにネットの世界で
遊べるようになった、というのがあります…。
すず猫さんは、いつものピンクのながーい髪に、黒いコート、ブーツ、ミニスカートの
かっこいい衣装できてくれていました。胸には手錠が下がっていました。
コンタクトは、紫色だったかな☆
ちなみにわたしは、赤毛で、テディベアみたいな緑色の古着のコートを着ていたので、
相当目立つふたり組だったのは間違いないと思います。
羽田でお昼を食べてから、ホテルにチェックインしようということにしていたので、
入るお店を探しつつ、羽田空港の探検をしました。ふとみると、一階から見上げた場所に、
ポストペットショップの窓のようなものが見えるではありませんか?
「いこう!」と、どちらからともなく手を取り合い、そこへ通じるであろう階段を上ると…。
行き止まり。いや、展望台に通じているのでしょうか? とにかく空港の外へ出てしまう
ようなのです。これはおかしいともどる。上へ上がってみる。すると、お店と同じ高さには
これたものの、お店とのあいだには、遠い距離があるという、ええとつまり、
目の前に見えるお店にたどり着くには、なにもない空中を歩かなくてはならないという
そういう状態になったのでした。
「これは、隠し通路があるんじゃない?」
「FF4のラストダンジョンだあ」
そんな会話をしながら、なおも逍遙していると、やがて、めでたくすず猫さんが正しい
階段を発見しました。さすがゲームデザイナー☆<何か違う?

めでたくお店にたどり着き、あ、途中で、妙に巨大な半月形のどらやきをすず猫さんが
発見して、大喜びしてご家族におみやげに買って帰ったりしましたが、
首尾よくポスペの猫の携帯マスコットなどをゲットしたあと、お昼をいただきました。
小さなファミレスみたいなお店で、そこで簡単なおみやげの交換会とかやりながら、
彼女はエビピラフ、わたしはサンドイッチを食べました。サンドイッチは、なかなか
具が豪華だったです。食べながら、一昨年、福音館のT氏とここにきたなと
思い出しました。そのときもサンドイッチ食べたっけ…。

空港からはリムジンバスで、泊まる某高級ホテルに行くことにしました。
そこの喫茶店で、もうひとりのお友達と三人でお茶の予定です。
そうしてそのあと、六時半にはわたしはポプラのNさんとホテルで会い、
七時には童心社のIさんとNさんにあうために、移動しなくてはならないという
ぎちぎちのスケジュールになっていたのでした。
ところが、チケット売場が変に混んでいるのです。バスが出る時間のわりとぎりぎりに
なってしまっていたので、ちょっとあせって、受付の人の方を見ると、その胸に
真新しい「研修生」の文字が。…ちょっとまったあ!
やっと順番が回ってきました。研修生さんが、たどたどしく、でも誠実に、「あの、
新宿のそのホテル行きのバスでしたら、次は…次は」とさがすのを、
「二時ちょうど発です」と、ひきとって、切符をゲット。
バス乗り場に行くと、遙か先にバスが止まっていて、係りの人が手を回しながら、
なにやら叫んでいます。すると、すず猫さんが、いきなりダッシュ!!
「バスを止めてきます!」
後ろになびくピンクの髪がかっこよくて、競走馬のたてがみのようでした。
さすが、元陸上部。彼女の勢いで、バスは待っていてくれて、無事に私たちは
新宿行きのバスに乗ることができました。外は寒かったけれど、なかはぽかぽかで、
窓が大きなリムジンバスは、ゆったりと都内を走り、そして運転手さんのアナウンスが
「進行方向の道路が混んでいますので、今日はレインボーブリッジを渡る道を走ります」
ラッキー、という感じでした。いわゆるお台場のそばも通ったし。
あ、バスの中から、あう予定のお友達にメールを打ちました。バスの中だし、
打ってもいいのかなあと、迷ったのですが、到着時間を知らせなければならないので、
隠れて打ちました。ごめんなさい! 本当はだめですよねえ。
打ったと思ったら、すぐ返事が。彼女はiモード歴が長いので、さすが早打ちなのでした。

ところで。ゆるゆる思い出したのですが、わたしといっしょに空港に来た人は、
なんでだかみんな走るはめになるのです。
去年はいっしょに上京した友人、漫画家のマルモトさんが走りました。
モノレールの乗り換え(?)に使う切符を、わたしがうっかりして、
おいてきてしまったので、くだりエスカレーターを逆走して、上にかけ上って
くれたのでした。あのときは、通りすがりのビジネスマンたちが、
「うわあ、はやいねえ!」と、感動の声を上げていましたっけ。
その前の年は、やはりリムジンバスを止めるために、小峰書店のIさんがダッシュ。
…ふたりとも、ありがとう。すみません。
人の善意がなければ、どうやらわたしは旅行なんてできないようです。
早く年齢にふさわしい、落ち着いた人間になりたいです。

さて。ホテルについて、チェックインをして、ロビーでお友達の到着を待ちました。
柚木らうちゃんです。実は彼女は、すず猫さんのゲーム「ライトファンタジー」のファンで、
それが縁で、私ともお友達になったというわけでした。
「三人でケーキバイキングでも食べようね」なんてことを話しながら、私たちは、
らうちゃんの到着を待っていたのですが、これが、こない…。
都内のそう遠くないところから来るはずなのに、こないのです。
そのうち、助けを呼ぶようなメールが…「○○ホテルって、どこ?」

結局、電話とメールを使って、何かのゲームのように、彼女を待ち合わせ場所に誘導。
ゲームがリアルなのか、現実がゲームに近づいたのか? おもしろかったです。
今まで電話で話したことはあっても、はじめてあったらうちゃんは、学生のような
かわいらしさとういういしさで、キュートな感じでしたvvv
ホテルの喫茶店は、テーブルの上にツリーを模したシダの鉢が飾ってあり、
中庭の植木たちも、きらきらの飾りをつけられていて、夕方になるにつれて明かりが灯り、
大きな窓から見る景色は、写真集から抜け出したような美しさでした。
三人でおいしくケーキを食しているうちに、ポプラのNさんより連絡が。
実は彼女とその日会うのは、上京のあいだにやることになっている
「風の丘のルルー5」の再校ゲラを受け取るためだったんですが、その日ぎりぎりに
でたゲラが、でてみると字組からあふれてしまうというのです。
…私のせいです。ごめんなさい。初校ゲラでけっこう足してしまったので。
話を聞くと、数行削るくらいでいいというので(声がせっぱつまっていたから、
もっと何ページ分にもわたって削って欲しいといわれるのかと思ってた)、
とにかくホテルに持ってきてくださいとたのみました。

文章を削る作業は、それになれない人は大変だと思うかもしれませんが、
その気さえあれば、けっこうできないことはないのです。
無駄な形容詞や擬音や言葉のくり返しをとっていけば、見開きについて1行や2行は
楽に削れるものです。その積み重ねで、数ページ分なら、すぐに削れます。
もっとたくさん削りたいときは、せりふを地の文に混ぜ込んでしまうとか、
せりふをいくつかとってしまうとか、そういう手もあります。
削除について、わりきってできるようになったのは、昔講談社からでていた
「ミステリ小説の書き方」というアメリカの推理小説作家の人たちが書いた本を
読んでからです。あの本にあった言葉の、「それくらいすぐに削れなければ
あなたはプロの作家とはいえない」なんて言い回しが今も頭に残ってます。

さてさて。お友達ふたりと名残を惜しんで別れて、ポプラのNさんの到着を
お部屋で待ちました。廊下を走る音がして、やってきました、Nさん。
細身の身体を皮の茶色いコートに包んでいます。
ゲラをいただき、チェック。うちあわせ。
ここまではうまくいきました。そしてこのあと、Nさんは、わたしを童心社の人々が待つ
新宿駅のそばの喫茶店につれていってくれることになっていたのでした。
そこはなぜだか児童書の出版社の人々がよく打ち合わせに使う場所で、
業界の人にいうと、「ああ、あそこか」というようなお店だということでした。
で、ここですぐそこに向かえばよかったんですよ。ところが、間が悪いときはあるもので、
その日わたしは、Nさんに、うちにあったひかるアンテナをあげるという約束を
していたのですが、「今ここでつけてあげようか?」とか、いってしまったのです。
「ええ、でもう、もういかないと…」
「簡単につくから。はいはい、電話貸して」
彼女の買ったばかりの携帯電話のアンテナをぱぱぱととりました。
自分のでつけなれているから、つけかえはできるつもりでした。が。

つかない。
いや一応、アンテナとしては使えるようなのですが、電話の中にアンテナが
収納できないのです。
思わぬドジだったのですが、実は彼女のIモードは、P209siという、折り畳み型の
特殊な形状の電話機でして、発光アンテナはどれでも使えるわけじゃなかったのです。
わたしはぼんやりとそのことに気づいてきて、焦りました。で、自分が今つけた
アンテナをはずそうとすると…はずれない。
愛をこめて、ぎしぎしねじ込んでますからね、そう簡単にははずれないのです。
そうこうするうちに、ねじが空回りをはじめる。手に汗をかきましたよ。
時間がたつのはわかってたけど、買ったばかりの人様の電話機を壊すわけには…。
Nさんは時間を気にして、「あとでわたしが何とかしますから」といいますが、
でもやはり…。
結局、つけかえができたのは、何分後だったのでしょう?
先方との待ち合わせの時間を過ぎていたのはたしかです。
なおその間、わたしは童心社さんに電話をかけようとしたのですが、
にゃにゃんと、iモード歴の浅いわたしには、電話のかけ方がワカラナイ!!!
担当の童心社Nさんの携帯に電話をいつでもかけられるつもりでいたから、
少々遅れても大丈夫だと内心思っていたのが、そうは問屋がおろさなかった。
出版社に電話、とも思ったけれど、この時間ではもうだれもいないでしょう。
でもまあ、ここまで遅れたんだもの、向こうがかけてきてくれないかな、そのとき、
事情を説明すればいいやと思って、わたしはホテルを出ました。

出たところで、暗闇で階段を踏み外し、もうちょっとで、Nさんを巻き添えにして
下に落下するところでした。
あのとき、その場に踏みとどまり、わたしを引っ張ってくれたNさんは、英雄だと
思います。細いのに、どこにあんな力があったんでしょう?

さてさて。わたしたちは待ち合わせの場所をめざして急ぎます。
まるで台風のように、シベリアからやってきた寒気団が冷たい風を吹かせる夜に。
しかしこれが間が悪いときは悪いもので、地下鉄が来ません。
やっときて、のって。おりて。
その間、携帯電話は鳴りませんでした。
わたしは童心社に見捨てられたのだろうかと思いました。

駅ビルのような建物の中に入ったとき、やっと電話が鳴りました。
かすれた声で、童心社のNさんが「いまどこにいらっしゃるんですか」と、
ききました。疲れ切ったような声でした。
「ビルの中にいるの。エレベーターを上ってる」
「えっ? ビルって、どこのビルですか?」
「あなたのいるビル」
ビルをあがりきり、電話で話しながら、目当ての喫茶店に到着しました。
すでに、その場には、童心社IさんとNさん、シェーラひめシリーズの画家の佐竹さんがいて、
一様に疲れ切ったような表情を浮かべてこちらをみあげていました。
ごめんなさい、みなさん…。
背の高いIさんは、感情が顔に出るタイプで、むっとした表情で、
「ぼく何度も電話したのに、どうしてでなかったの?」と、ききます。
…電話、ならなかったのにな。
そのとき、なんだか不安な気はしていたのです。

ちなみに、童心社Nさんは、大学を卒業したての若手女性編集者。
お嬢様風な人なのですが、シェーラ8で、カバーなどにすごくセンスがいい
文章を書いてくれた人であります。
画家の佐竹さんは、長身のお姉さまで、ご自分の挿し絵ににてらっしゃる。
声はわりと低いかな? わりと男性的な人です。

そうしてポプラ社Nさんと別れて、童心社の人々、佐竹さんといっしょに、夜の街へ。
わたしは飲めないんですが、残りのメンバーがウワバミさんなので、
当然行き先はそっち系。でもガラス細工の子馬の形のランプが浮かぶ、
大きな木のテーブルのある、とても素敵なお店でした。
洋風居酒屋さんという感じで、お食事も、お刺身も揚げ物もサラダも美味でした。
シェーラひめ8も売れ行き好調だということで、場は盛り上がります。
でも、お酒が進むうちに、Iさんが児童書の現況について語りだし、
それを、「あなたがなんとかするべきだ」とお酒が顔に出ない表情でさとす佐竹さん、
というくみあわせで、なんだかくらい雰囲気に…。
その後、もう一軒カクテルバーのようなところにいって、そこではそれなりに
なごやかに話もできて、そしてお開きになりました。

ホテルに帰って。そして、わたしは気づいたのでした。
携帯電話のアンテナが壊れているらしいということに。
ばたばた移動しているあいだに、おかしくしてしまったらしいのです。
メールの送受信ができなくなってしまったので、わたしは苦悩しました。
その夜は、持ってきた岩崎書店のゲラと、さっきもらった「ルルー5」のゲラを見ましたが、
アンテナが壊れたショックで、あまりきちんと仕事ができませんでした。
通信手段をすべて、携帯電話に頼っていたのですから、気分としては、
離れ小島に流されたくらい不安でした。
旅行から帰ってきた今思うと、そこまで不安になることもなかったと思うんですがね。

翌12日。パーティーの日の朝が明けました。
携帯電話の目覚ましで目覚め(曲は「新世界」。夕方みたいなんですが、
もともと携帯F209iに入っていたメロディの中で、これが一番きれいだったのです。)、
朝ご飯を食べて、部屋を片づけたり人と連絡を取ったり(ホテルの電話で)
しているあいだに、気がつくと昼近くになっていました。
お昼には、今までの歴代担当編集者さんの有志の方たちとお昼を食べる会が
行われることになっていました。
で、そのとき、ポプラ社Nさんもくることになっていたので、わたしは、
昨日彼女にいったんあげたアンテナを、とりあえず持ってきて貸して欲しいと
たのみました。かっこわるいけど、背に腹は代えられません。
今日はアンテナを買いに行く時間はないけれど、とりあえずNさんのアンテナが
あれば、それをつければ、急場はしのげるのです。

待ち合わせは12時45分だったかな?
同郷の人で、とても仲のよい、信頼している編集者である教育画劇のHさんが
ロビーまでお迎えに来てくれることになっていました。
Hさんは多忙な人なのに、昨年からこのお昼の会の幹事役をかってでてくれて
いるのです。…ごめんなさい、Hさん!
ところがここで、ポプラ社Nさんが、待ち合わせ時間を一時間間違えて早く登場!
ホテルの近くから、「どうしましょう」と電話をかけてきてくれたので、
アンテナのこともあるし、お部屋に来てもらって、お話をしましたv
アンテナは無事装備して、やがて、待ちあわせの時間が。
ふたりでとことことロビーに行って、若いけどダンディーなHさんとご面会。
ホテルの前にたつ、大きなビルに行って、エレベーターを上りました。
このビルの51階の広場でみなさんと待ち合わせているのです。
担当編集者さんとのお食事会は、これで三回目です。
今年は、HさんNさんのほかに、小峰書店Iさん、佼成出版社YさんKさん、
福音館Tさん、理論社Yさんの七人が忙しい時間を割いて、きてくれました。
いいえ、きてくださいました、と、書くべきでしょう。

こうやって、いろんな出版社の人々が集まることはあまりないそうです。
だからひょっとして、わたしは非常識なことをしているのかも、とは思いますが、
年に一度しか東京に行けない貧乏作家のわたしがすることです。
たとえ、非常識だとしても、気づかない振りをしようと思っています。
だって。わたしはみなさんと会えて、本当にうれしいんですから!

待ち合わせの広場には、大きく展望の開ける窓があり、東京が見渡せました。
先に来ていた佼成出版社の若いKさんが、「秩父山系が見えますよ!」と、
明るい声で呼んでくれたとき、ぱあっとみんなが到着してきて。
あの日少し遅れたのは、Iさんだったっけ? 小走りに来るのが見えて。
なんかそのとき、ほんとに胸に迫るものがあって、ちょっとだけ泣きました。
みなさん、あの日は来てくださって、ありがとうございました。
みなさんとあえて、わたしはほんとうにうれしかった。
わたしとつきあって、本を作ってくださってありがとう。
来年もきっとまた、あいましょうね。あってくださいね。
そうして、またいっしょに本を作るお仕事をしましょう。わたし、がんばりますから。

お昼はどんぶりもののお店に入りました。
お昼時だったので、いろいろ定食メニューがありまして、
その中でなぜか人気が集中したのが、「じゃことなんとかのどんぶり」。
なんとかはなんだったかなあ? サケのおさしみだったかしら?
なんだか豪華な「北の海の盛り合わせ」みたいなどんぶりもあって、それは
佼成出版社ののりのいいおねえさまYさんが、お店の人に「これ、どんなのですか?」
とかきいて、いかに豪華だかわかったのですが、
結局、なぜか誰もたのまず。
わたしは迷いまくったあげく、結局、鉄火丼にしたのでした。美味でしたv
お食事の時は、猫の話や画家さんのうわさ話や、いろんな話で盛り上がり、
お昼だというのに、ちょっとだけアルコールが入ったりとか、
まあいろいろありまして(ないしょ!)。
わたしが持っていったささやかなおみやげをみんな喜んでくださったりとか、
いろいろありました。でもみんな笑顔で、たのしそうで、うれしかった。
理論社Yさんは一番古くからおつきあいをしている方ですが、今回は
原稿の完成が遅れているお詫びができてよかったです。
小峰のIさんとは、来年いっしょに仕事をしよう、という約束をしました。
福音館のTさんは優しい笑顔が懐かしかった。
でも、あっというまに時間は過ぎてしまい、打ち合わせのある人や、会社に仕事を残して
来た人とお別れして、そうそうポプラのNさんは、今夜のクリスマス会の準備のために
抜けて、二次会の喫茶店は、わたし、Hさん、Yさん、Tさん、Kさんというメンバーでした。
ホテルのそばの全身緑色の、グリーンビルというビル(あまりにもおもしろかった
ので、名前を書いておきますね)のなかの喫茶店に行きました。
ここはたしか、Hさんが知っていたビルでした。
そのときはわたしは、みなさんと別れたさみしさで軽い情緒不安定になっていたので、
二次会の面々は、ぎりぎりまで、わたしのそばにいてくれました。
Tさんなんて、走ってお店を出ていく羽目になったのでした…。
みなさん、本当にありがとう。
そこでは、Kさんの飼い犬の話で盛り上がりました。楽しかったなあ。

みなさんと別れて、ホテルで、着替えたりしました。
でもものすごく切なくなってきて、鬱々としていると、軽やかに部屋に来てくれたのが、
すず猫さんでした。「こんばんはー」と、手にお芋のお菓子を提げてきてくれました。
「これ、おみやげです。おいしそうだったからv」
いっしょにクリスマス会に出る約束をしていたのです。
彼女が来てくれて、本当によかったと思いました。
まるで部屋の中にひまわりが咲いたように明るくなりました。
あれは人徳だと思います。
ありがとう、すず猫さん。

すず猫さんが来てから、ちょっと気分も上向きになり、着ていく黒のドレスに合わせる
アクセサリーを選んだり、お芋のお菓子をつまんだりする余裕ができました。
その間、すず猫さんは19階からの信じられないほどきれいな夜景をデジカメにとったり、
わたしがつれていった「着せ替えルルーちゃん人形」で遊んだりしてました。



すず猫さん撮影によるホテルからの夜景その2
すぐそばに見えるビルが、都庁です。

そして時間が来て。いざ、パーティー会場へ。
前日に「パーティーの時にどうぞ」とYさんからいただいていた赤い巻バラの髪飾り、
ちゃんとつけていきました。

パーティー会場は、某ホテルの地下の、それはそれは大きなホールで行われます。
シャンデリアがきらきら光り、三百人を越えるという参加者たちのざわめきが聞こえ、
おいしそうなお料理が、輝くように並べられていました。
豪華絢爛、という感じでした。
最初いったときは「どうしよう?」と思ったパーティーでしたが、三度目になると、
ただわくわくするばかりです。
年に一度のパーティー友だち、「地獄堂霊界通信」の香月日輪さんが
「おーい」と手を振り、わたしとすず猫さん、香月さんと、彼女の友だちの画家の、
天下泰平さん(「エル・シオン」の挿し絵の人)四人で、同じテーブルに陣取り、
それから私たちは、おいしいお料理をいただきまくったのでした。
ちなみに香月さんは、ちゃきちゃきした大阪の女性で、年はわたしと同じ、
しゃべり方が前に電話で話した夏緑さんととっても似てるんですが、
大阪の頭の回転が速い人はみなさんああいうのりになるのかなあ?
天下さんは、それはそれは細い女の子で、わたしと香月さんから、
「肉をわけてあげたいわ」と、いわれてしまったのでした。
そうそう。大事な人を忘れてました。
産経新聞の文化部記者にして新人作家のTさんです。
この方は、わたしよりずっと年上で、偉い人なのに、なぜかわたしのことを、
気に入ってくださってるのか、新聞の新刊紹介のお仕事をくださっているのでした。
いつも、なにかと声をかけてくださるし。で、なんとなく、
失礼なことかもしれませんが、わたしも気が合うというか、Tさんに
親しみと尊敬を感じているので、パーティーでお会いできるのが楽しみでした。

パーティーのあいだには、社長さんのお話があり…というか、社長さんの話で始まり、
今年も業績が上がったという前向きなお話で、それに続けて、
角野栄子先生の紫綬褒章受章のお祝いや、那須正幹先生の野間文芸賞受賞の
お祝いがあり、西本鶏介先生の楽しいお話がありました。
上記の先生方は、ポプラ社が古い時代からおつきあいがあった先生方で
いらっしゃるそうで、毎年お話があるのですが、
三人ともすごく話し上手でいらっしゃるので、きいていてあきません。
やっぱり、作家は話し上手な方がいいのかもしれない…。
話し上手といえば、社長さんもそうでらっしゃるのですが。
あ、そうだ。「生きてます、十五才」の井上美由紀ちゃんがきてました。
挨拶をする美由紀ちゃんは、すごく元気でパワフルで、圧倒されました。
元気と若さを少しだけ、わけてもらえたかもしれません。

お食事はおいしいし、Tさんや、香月さんや天下さん、すず猫さんとの話もはずむし、
パーティー会場は明るい雰囲気だし、いうことはない会でした。
そうそう。クリスマス会では、ポプラ社の社内バンドによるヒット曲の演奏があります。
「風の丘のルルー」をいっしょに作っているNさんもそのバンドの一員なのですが、
今回の演奏の編曲も彼女の手になるものだということでした。
そういう話を聞いていたので、演奏が始まるやいなや、前の方に移動して、
ステージの上の、バンドのメンバーの中の、
キーボードを弾いているはずの彼女を捜したのですが…。
いましたいました。「慎吾のおはロック」を明るく演奏しているバンドの後方で、
黙々と鍵盤をたたいています。ほかのメンバーにふりつけがあっても、
彼女はひたすら弾いています(だって、キーボードだから)。
演奏しているNさんを見ていたら、「うわーかっこいい!」とかわたしは感動しちゃって、
心の底から尊敬しちゃって、そのあともずっと盛り上がってました。
ちなみに、おはロックのボーカルの方は、ちゃんと男性でした。
ワンピースがお似合いでしたv

宴も終わりに近づき、ラストのプレゼント交換会。
これは参加者が千円相当のプレゼントを持っていって、それを交換するんですが、
パーティー仲間のみんなと、会場の外の廊下で早速包みを開けました。
わたしがあたったのは、かわいい熊ちゃんのサンタのぬいぐるみ。
香月さんはちっちゃい熊と石鹸とポプリのセット。
すず猫さんは、お茶碗セット。
天下さんは、すごくきれいな、猫の形のガラスの小物いれ。
このときわたしの目は、きらりーん! と光ったのでしょうか?
天下さんは、おびえたまなざしで、わたしに猫をゆずってくれました。
「あの…重たくて、もってかえるのがいやなので」
彼女は都内で、わたしは長崎に帰るんですが、いや、彼女はとにかく細いから、
ガラスの重たい小物入れなんて、もって帰れないんでしょう。
それは気の毒なので、もらってあげることにしました。
代わりに、熊ちゃんのぬいぐるみをあげました。彼女は実はこの熊がほしかった
のだと、喜んでくれました。なんていいひとなんでしょうか!
天下泰平さんに幸あれ、とわたしは心で叫びました。

そのあと、わたしとNさん、そして、画家のふりやかよこ先生の三人で、
近所のホテルの喫茶店で二次会をしました。
本当は「風の丘のルルー」の今後について語り合う会のはずだったのですが、
なんとなく、いろいろはなしているうちに時間が過ぎたり…。
でも、この三人で話したのは初めてだったので、うれしかったです。
ふりや先生は、年齢を聞くとびっくりするようなお年なのですが、永遠の少女のように、
かわいらしくて、ご自分の絵にそっくりなのです。
しかし画家さんって、佐竹さんもそうでしたが、ご自分の絵ににていらっしゃいますね。

楽しく時間が過ぎて、お別れしましたが、わたしは部屋へもどったあと、
岩崎書店さんの初校ゲラをしました。部屋の明かりがくらいので、
ベッドに寝そべり、枕元のスタンドにゲラを押しつけるようにして読みました。
ゲラは一通り家で読んできたんですが、次の日の朝に担当のTさんとあうことに
なっていたので、そのときお返しすることになっていたので、最後のチェックでした。
実は、岩崎書店のTさんとは、デビュー前に声をかけていただいてからの長いおつきあい
なのですが、今回が初めての本でした。名編集者として有名な人のひとりなので、
ちょっと緊張しながらゲラをしました。
その初校ゲラ、Tさんが何度も読んだのを教えるように、紙があちこちすれていたのです。
あれを見てしまうと、おろそかな気分ではゲラができないなと思いました。
ゲラをするとき、前の日に小峰のIさんからいただいていたバラのお茶を飲みました。
金色の熊ちゃんのスプーン付きだったあたりが、にくいですねえ。

なんとか終わって、そして、寝て、翌朝がやってきました。
その日のスケジュールとしては、朝、岩崎書店と打ち合わせ。そのあと、部屋で
「ルルー5」のゲラをして、お昼には産経のTさんとお食事にいく。
かえってきたらまたゲラをして、夕食の時に、ポプラのNさんと画家の森友さんとあう、
そういうもりだくさんのスケジュールになっていたのでした。

待ち合わせの時間は十時。なのに、あれ、Tさんは来ません。
どこにも、姿は見えません。
そのうち、携帯がなりました。
Tさんの声がします。「村山さん、いま、どこにいるの? 下に来たんだけど」
「え? わたし、今、ロビーにいますけど?」
「え?」
そのとき、目が合いました。
Tさんとわたしは、同じロビーにいたのに、電話で話していたのです。
Tさんの横には、白雪姫みたいに色白な若い女性がいて、笑顔で会釈しました。
その方はこれからわたしといっしょに仕事をすることになった新人の編集者、
Yさんだったのです。
わたしはロビーに来たとき、一応Tさんがいないかどうか、ぐるーっと見回したのですが、
男女のふたり連れだった岩崎書店のふたりの上を、目がすべっていったのでしょう。

近くのロビーにお茶を飲みに行きました。もちろんゲラはその場でチェックしてもらうのです。
簡単なやりとりがあって、無事、打ち合わせも終了しました。
桜の花の妖精の話なので、桜の時期までにはだしたいとかそういう話をしました。
新人Yさんは、児童文学を専門に研究してきた方だそうで、一度他業種に就職
したあと、外国に留学、帰国して岩崎書店に入社したそうです。
わたしが知る限り、「児童書が好きで」児童書の編集者になった人はわりと少ないので、
なんだか、驚いてしまいました。
不思議なもので、児童書の編集者には、本当に児童書マニアは少ないのです。
じゃあどんな人がいるかというと、大人向けの純文学や古典が好きな人や、
ミステリやホラー小説、マンガに映画が好きな人がたくさんいます。
もちろん、編集者になったあとにみなさん児童書の勉強をするので、
児童書に詳しくない人はいないのですが。
一方、作家の側はというと、わたしのように児童書マニア出身の人と、
「児童書に興味ない、これからも読まない」という人の2パターンがいます。
数的には、それぞれが同数くらいなんじゃないでしょうか?

TさんとYさんとは、のんびりと、パソコンがいかに仕事の流れを変えたかとか
そういう話をしました。いい朝でした。
帰りがけに、喫茶店のレジの上に並んでいた熊の形のメモホルダーを、
Yさんと色違いで、記念に買いました。色とりどりの熊がいて、わたしが、
「何色の熊さんがいいですか?」ときいたら、Yさんは「熊色の熊が」と、いいました。
熊色じゃない熊がほとんどでしたからね。ちなみにわたしが選んだのは、青い熊です。

部屋にもどって、Tさんとの待ち合わせの時間まで、ゲラをしました。
そのうち一時になったので、下に降りていくと、Tさんがいました。
その日は携帯電話のアンテナを買うために電気屋さんにつれていってほしいと
お願いしていました。Tさんにつれられて、新宿駅方面へ。
ところがそのころから、ぶちっとゴムが切れたように、わたしは疲れていたのです。
旅の疲れと前日のパーティー、打ち合わせなんかの疲れが臨界点に来たのでしょう。
疲れは脳に来て、わたしは、Tさんに、「どうしても今日、携帯をIモードに替えるべきです」
と、主張しました。「絶対に便利だし、新聞記者も作家も、つねに、最先端のものに
ふれておくべきだと思いませんか? 作品でネタとしても使えますよっ!」

自分でいうのもなんですが、わたし、人にものを買わせるのが上手いんです。
Tさんは、iモードに替えることを決意しました。私たちは楽しい気分で、
ヨドバシカメラにいきました。まず、携帯電話のコーナーがあったので、
Tさんはさっそく手続きをはじめました。そのかんわたしは、アンテナを買いに行くことに。
ヨドバシカメラは、とおりのあちらこちらに店が分離して存在しているのですね。
わたしは店員さんに、アンテナの売場を尋ねました。すると。
「そこのまっすぐ先にサンクスがありますから、そこで右に曲がってください」
というのです。…サンクス。くくく。それがわからにゃいの!
実は長崎市にはサンクスがないのです。だから、サンクスがいかに特徴のある店構え
でも、わたしはわからないのでした。
結局聞き直して、なんとかアンテナを手に入れました。ヨドバシカメラの店員さんは、
親切にアンテナを付け替えてくれました。助かりました。
でも、旅人だからっていっても、カードを作ってくれというのはあんまりだわ。
年に一度の上京の旅に、ヨドバシカメラにいかないと使えないじゃないですか?
それにしても、住所を記入するとき、長崎市、と書いたらびっくりしてましたねえ。
ごめんなさい、ばりばりの関東方言で、態度でかいですけど、わたし旅行者です。

お昼は、ヨドバシカメラの近くの炭火焼きのお店で、それはそれはおいしい
塩タン定食を食べました。とろろ芋がついてて、おいしかったなあ。
でも、そのお店には入る前に、ポプラのNさんから携帯にメールが。
「二時に連絡します」
お店に入って食べながら待てばいいかと思っていたら、これがそのお店が、
小さなビルの1階にあるのですが、中に入ったとたん、アンテナ全滅。
いったい何なんでしょう? 実はスパイの本拠地???
そうこうするうち、二時になります。
実はNさんは、部屋が作業するためには暗いということを心配して、その日、
夕方のお食事の前に、電灯をホテルに持ってきてくれるということになっていたのです。
ひょっとして、電灯をもう持ってきてくれるということかもしれないと思いました。
しかし今、わたしはホテルのお部屋にはいません。
わたしはお店の外に出て、Nさんと連絡を取ろうとしました。
携帯にメールをうち、今は電話も受けられないし、メールも受信できないと伝え、
それから念のために、会社に電話をかけると、今彼女はいないといいます。
げげ、まじで、ホテルに電灯抱えて向かってるんじゃ、と思って、携帯に電話すると、
留守番電話。ところがこれが、メッセージがいっぱいで録音できないというのです。
わたしは真っ青になりました。
で、とりあえず、お食事の続きをして、そうして、ホテルに帰ることにしました。
その前に、手続きを済ませていたTさんの携帯をひきとりにいき、ドコモに
ドコモの手続きをしようとしにいったのですが、混んでいたので、
また今度にしました。で、わたしはヨドバシカメラにもどってきたついでに、
Nさんに昨日のお詫びのアンテナを買いました。

その段階で疲れは足腰に出まして、わたしはよろよろと、Tさんにすがるようにして、
ホテルに帰ったのでした。Tさんが、励ますように、「コーヒーだよ、村山さん。
コーヒーはカンフル剤だから、あれを飲めば元気になるよ」といってくれました。
わたしは「そうですね。それと、甘いものが欲しいです」
「そうだね。甘いものとコーヒーだね」
帰り着いたホテルの喫茶室で、Tさんにコーヒーとシャーベットをおごってもらいました。
天国の味覚のようにおいしいコーヒーとシャーベットでした。
それから、Iモードの話をしたり(ちなみにTさんが買ったのは、三菱製D209i)、
今後の児童文学は、一般の文学とのあいだのボーダーがなくなっていくのだろうか、
なんて話をしましたが、あのときはなにしろ脳細胞が減っていたので、
あまりさえた発言ができなくて、ごめんなさいでした、Tさん!

さて。くだんのポプラ社Nさんとは連絡が取れないままだったのですが、
4時になって、電話がかかってきました。
ほかの作家さんとの打ち合わせが長引いていたということでした。
「二時に連絡する」といったことは、忘れていたようです…。

でも、わたしとしては、ホテルのロビーで、Nさんが重たい電灯を抱えて
悄然とうつむいている姿を見ないですんだので、本当に、ほっとしました。

疲れていたので、夕食は夜七時にしてもらいました。待ち合わせの
場所はもう動きたくないので、このホテルにしてもらって、部屋に来てもらうことに。
で。部屋に帰って。
わたしはきっちりと「ルルー5」のゲラをしました。この部屋で少しは見ていたのですが、
きちんと読む時間がとれたのはそれが初めてだったような気がします。
ホテルの部屋は大きな窓があって、日当たりがよかったので、わたしは
ホテルの中にあるお花やさんでシクラメンを一鉢買って、机においていました。
ルルー5にはシクラメンが出てくるのです。それにシクラメンは、好きな花でした。
薄ピンクと薄紫が混じり合ったような色のミニシクラメンでした。
シクラメンのそばには、Hさんからいただいた猫の置物を飾っていました。
美しくてもやはり殺風景なお部屋が、あったかくなって、素敵な書斎になりました。

七時。窓の外の夜景が最高にきれいになったころ、Nさんと森友さんが来ました。
実はこの三人で何か本を作ろうという話があるのです。まだわたしが原稿を
書けていないので、進展していないのですが、そういうチームなのであります。
森友さんは、「綿の国星」のチビ猫が大人になったような感じの人で、
目がくりくりよく動くのですが、ときどき、すごく鋭くなります。
優しくて明るいんだけど、常にマイペース。
その日は、新作の梅干しをいただきました。森友さんの梅干しはおいしいです。
(そういえば、画家さんはおつけもの関係は好きな人が多いのかしらん?
佐竹さんも梅干しつけるし、ふりやさんもお酒をつけるっていってた…)。

お食事は、ホテルのレストランでしたので、かなり…お高かったです。
申し訳ないようなお値段でありました。
森友さんはビーフストロガノフ、わたしはエビカレー、Nさんは、特製チキンカレーを
注文しました。どれもみな、みるからに材料がいい感じで、
さすがホテルの夕食、という感じでした。おいしかったです。
はずみだ、という感じで、デザートも注文することになりました。
…ケーキ、800円もしたんですけど。
そのとき、Nさんが注文した、世にも不思議なケーキ。
その名は「なんとかかんとか、モアルー」
もあるー? それって、なあに?
ケーキとアイスクリームとタルトとかが重なり合っている感じのお菓子でした。
ぱっと見た目は、おでんににていました。くしに刺さった、ああいう感じ。
丸い部分と三角形の部分があるあたりも、おでんっぽい。
味としては、チョコレート味。みためがチョコの色。
Nさんは、「このへんがモアルーなんでしょうか? それともこのへん?」
と、いいながら、フォークであちこちつついて悩んでいました。
しかし彼女は、フランス語ができたのでは?
「Nさん、モアルーって、どういう意味なの?」
「何かの複数形だとは思うんですが…」
「なんだろうねえ」
ここで取り出すiモード。F209iで辞書サイトを見てみたのですが、フランス語はありません。
わたしは、そばを通りかかった給仕さんに「モアルーってなんですか?」と
たずねてみました。給仕さんは、「モアルーですか?」と考え込み、そして、
「奥へ行って来いてきます」と、姿を消しました。ややあって再登場。
にこやかな笑顔で、「『湿りけをおびたもの』という意味だそうです」

親切な給仕さんが引き上げたあと、顔を見合わせる三人。
「『湿り気を帯びたもの』の複数形?」
「それって、だからいったいなんなの?」
「わかったような、わからないような…」
結局、モアルーの謎は、とけずじまいでした。わかる方、教えてください。
(追記・その後、楢原さんから、「複数形というのは嘘でした」という
発言がありましたが、夏さんから、「しっとりしたお菓子たち」という意味ではないか
という発言がありました。「お菓子たち」という響きはかわいいかも♪)。

おなかがくちくなると眠くなるのは、人として当然のことだと思います。
一足先に森友さんが帰ったあと、わたしとNさんはお部屋で、半ばもうろうとした気分で
打ち合わせを続けていました。部屋には今、Nさんが編集部から黙って持ってきた(!)
明るいゼットライトが輝いています。
「さあ、ぼくといっしょに仕事をしようぜ!」というのりの全開の明るさです。
でも、わたしもNさんも、もうぼーっとしているのでした。
ふたりともその日が疲れの極致だったのだと思います。わたしも大変だったけど、
Nさんはあの頃、ほとんど寝ていなかったのではないでしょうか?
「…えーっと、Nさん。今夜、ゲラは完成させる予定だけど」
「はい……ありがとうございます…」
そう、翌14日は、わたしが長崎に帰る日でした。
その朝にNさんにあって、完成したゲラを返す約束でした。
「…本当は、もう一日あれば、もっとよくなるような気もするけど、残念で」

といったとたん、眠そうだったNさんの目が輝き、いきなり計算をはじめて、
「14日に帰られるんですよね? だったら、15日に速達で返していただけるのなら、
そのゲラ、持って帰ってくださっても大丈夫ですよっ!」
「ええっ? 本当に大丈夫なの?」
「はい。ものすごい綱渡りになりますけどっ!」
「うーん。それは、いやだなあ」
わたしは首を横に振りました。仕事を持ってかえるのはいやじゃないですが、
なんていうか、縁起を担ぐような気持ちで、いやでした。抵抗感がありました。
それに、「ゲラを完成させて帰る」というつもりでいたのですから、
それを実行しないと、旅行の目的が果たせないまま帰ることになるような気がして、
気持ちがなんとも落ち着かないような気がしました。

で、ああでもないこうでもない、と、ふたりでスケジュールをなんとかいじれないか
落書きしながら話し合ったのですが、このころにはもうわたしの頭は妙になってて
雀とかの落書きをぼーっとしてたり、日付の計算ができなくなってました。
Nさんは心配そうな顔をしながら帰ってゆき…そしてわたしは。
なんででしょう、あるタイミングからスイッチが入ったように、目が覚めました。



すず猫さん撮影による夜景その3

それからはもう、楽勝です。
真向かいにある東京都庁の、残業をしているらしい明かりを見つつ、
きれいなきれいな、氷に閉ざされたような深閑とした夜景を見つつ、
赤ペンをがしがしふるい、修整ペンをべたべたとつかいました。
一気にゲラ、完成。
今度は、あとがきです。正確に言うと、あとがきのおまけ。
今回は、わたしの手書きのページを作りたいとNさんがいったので、
それを描きました。紙はNさんにもってきてもらったものです。
ペンは家からミリペンをいろいろ用意してきていました。
シクラメンの絵を、下書きなしで描きました。絵を描いたのは、
そういえば久しぶりだったなあと思いました。
本当はさっきのうちあわせだと、この落書きの方は、長崎に帰ってから
書いてもいいということになっていたのですが、Nさんをびっくりさせたかったので、
描いてしまいました。
そんなこんなしているうちに、東京の街には、うっすらともやのようなものがかかって
きました。お向かいの都庁の明かりも消えて、「ああ、残業の人も、
家に帰ったんだな」と思いました。その人のことを、ちょっとだけ
仲間みたいに思っていたので、少しさみしかったです。
一晩きりの同士でした。

 と、弟からメールが来ました。「新しいパソコンを買った」という内容のメールでした。
昔東京で暮らしていた弟に、今見える夜景を短い言葉でメールに書きました。
「東京の朝を見るまで寝ないかも」と書いたら、「がんばってくれたまえ」と、
返事が来ました。

メールに書いたら、なんだか、それもいいような気がしてきて、
わたしはイラストが終わったあと、またゲラを見直したりしていました。
五時…六時…
あれは、五時頃でしょうか? 真っ暗な中で烏が鳴きましたけれど、朝は来ません。
そのうちわたしは冷静になって、これは寝なくては、と気づきました。
今日はこれから、かもめ亭のオフ会があり、飛行機に乗って、長崎へ帰るのです。
具合が悪くなったら、どうしたらいいというのでしょう?
わたしは目覚ましを9時にかけて寝ました。

翌朝、「新世界」とともに、わたしは目覚めました。
三時間しかねてないのに、すっきりしていました。
「よーし」と、かけ声をかけて起きあがり、身繕いをして、荷物の一部を持って
フロントのある階におりました。旅行の時は、行きも帰りも宅配便を使います。
だって、意外と着替えの服やおみやげが重くなるからです。
宅配便で荷物をだし、お食事にいきました。
バイキング方式の朝食は、その日の気分で少なくもとれるので、うれしいですね。
その朝まで食欲がなくて飲めなかった「本日のスープ」をその朝はじめて
いただきました。ベーコンのコンソメスープでした。
あとは、ポーチドエッグがおいしかったなあ。やみつきになりそうなおいしさでした。

このホテルにはうれしいことに、地下になんでも売っている不思議な雑貨屋さんがあり
わたしはそこに食後よると、ガムテープと紙の袋を買いました。
部屋に帰って、さらに荷物をまとめ、宅配便で送る手はずを整えました。
そして。あれは、11時だったかな? Nさんとの待ちあわせの時間は。
ロビーで彼女に、「はい」と、ゲラを渡したときは、かなり気持ちよかったです。
描いてないはずの落書きのページもわたせたことだしね☆

さてさて。
コーヒーをのみながら、ホテルで最後の打ち合わせをしました。
打ち合わせというか、四方山話もしました。
かもめ亭オフ会の待ち合わせの場所の、新宿アルタ前にはNさんが
つれていってくれることになっていたので、ぎりぎりまでいろいろ話しました。
ふと、Nさんが窓の外の公園を見て、「あそこで映画を撮ったことがあるんですよ」
という話をしました。「高校時代、文化祭の時、三年生は、クラスの出し物で、
映画を撮るしきたりのある高校だったんです。私たちが作ったのは、
二つの人生を生きる男の話で、あの公演で、人生に悩んでいた彼が、
二つに別れちゃうってシーンを撮ったんです」

アルタまでは、疲れているわたしを慮って、Nさんがタクシーで送ってくれました。
そのとき彼女は、ゲラの入った紙袋をがしっと抱えていて、いい感じでした。
片手には、あの、電灯の入った紙袋を抱えてましたしね。編集者の鑑です。

待ち合わせ場所には、もう、すず猫さんや猫母さま、桐矢さん、あうげさんが来ていました。
前後して、わらわらと、あきさん、大林さん、フィーブリアさんときて。
チルチルさんと、アリスママさんと、アリスちゃんが来て。またも道に迷いながらも、
iモードに誘導されて、らうちゃんが到着しました。
わたしもいれて、総勢12人が、記念すべき第一回かもめ亭オフ会の参加者だったのです。
なんと、アリスちゃん(10才)は、小学校を休んでの参加でした。
(いえ、わたしが、学校があることを失念していて呼んでしまったのです)。
にぎやかな顔ぶれになりましたが、これだけの人数になると、さすがに
入れるお店がありません。これはわたしがあとで反省したことなのですが、
もっと段取りよく会場を決めておけばよかったのでした。
まさか、携帯電話が不通になるなんてことがあると思わなかったのも、ドジでした。
しかし、緑の黒髪の美女桐矢さんの発案で、めでたくカラオケやさんに
私たちは居場所を決め、そうすると…うたいたくなるのが人情というもので。
たちまちオフ会は、忘年会ムードになったのでした。
人にさりげなく気づかいを見せる大林さんが、率先してマイクをとり、「アイアンマスク」
をうたうと、流れはアニソン大会になりました。あとはもう、らうちゃんが
「タイムボカン」をうたう、フィーブリアさんが切々と「ロードス島戦記」を歌い上げる、
あきさんもなんか特撮ものを歌ってたな。あうげさんだけすましてグレイなんて
おとなっぽくうたいつつも、途中で「エネルギーが切れた」といって、倒れたりとか、
まあ、いろいろありました。
特筆すべきは、アリスちゃんの美声でしょう。「名探偵コナン」のエンディングテーマ
を、すごくしっかりした音程で、朗々とうたったので、一同聞き惚れてしまいました。
そうそう。すず猫さんの「ポケモンいえるかな?」も、上手かったの!!!

わたしは「エスカフローネ」とかうたいましたが、飛行機の時間が近づいたので、
一時間くらいいてさよならをしました。用事のある桐矢さん、チルチルさん、
空港まで送ってきてくれるすず猫さん、猫母さまもいっしょに抜けました。
さみしかったけど、ううう。来年は、半日くらい、かもめ亭のためにさきたいと思いました。
もっとうたいたいしv<違うって

さて、空港へは、羽田あたりの地理に詳しい桐矢さんが、モノレールより速い
乗り物を教えてくれたので、それでいきました。
途中まで、桐矢さんやチルチルさんといっしょだったので、いろいろはなせてよかったです。
チルチルさんはこの人も細い人なのですが、心はしっかりした人でして、
わたしは同人誌でのおつきあいが出会いだったのでした。
期待の新人作家として、来年はシリーズものがスタートする彼女ですが、
このごろちょっと滅入っているとうわさに聞いていたので、心配していたのですが、
なんの、十分元気だったので、ほっとしましたよ。

そうして。羽田空港について。
わたしとすず猫さん、猫母さまの三人は、三人でまるで猫がじゃれ合うように
いろいろ話しながら、空港の中を歩き、お食事をして、
そうして、別れました。
わかれぎわに、わたしはホテルの部屋から持ってきていたシクラメンを
猫母さまにあげました。本当に気に入っていたシクラメンだし、
東京での思い出にしようと思っていたけど、猫母さまに感謝の言葉を伝える術が
ほかになかったからです。

猫母さまはすず猫さんのお母様でして、わたしは以前から、すず猫さんを通して、
ちょっとだけ、おつきあいさせていただいていました。
今年、わたしが夏に体をこわしたとき、すず猫さんとふたりで、心配してくださった
ことを、わたしは忘れません。あんなふうに、人から親身になって心配されたことって
今まで経験したことがなかったように思います。
わたしはあのとき、「世界にはこういう人たちもいるのだから、人間というものに
絶望してはいけないのだな」と、天啓のように思いました。

実際お会いした猫母さまは、想像していたよりもずっとお若い、
いたずらっこみたいな目をした、元気な女性でした。
ついでにいうと、すず猫さんにそっくりでしたv
またこのふたりの会話が、きいててたのしかったんだなあ。ふふ。
しいたけの冷凍保存、今度わたしもやってみますね。

17時20分発のJAS369便にのって、わたしは長崎へ帰りました。
東京の空は、もう夜景になっていましたが、空は曇っていて、いくらも飛ばないうちに、
東京は見えなくなりました。
でも、雲におおわれて見えなくても、わたしにはそこに、あの都市があることが
わかっています。大好きな人たちが住んでいる町。
来年もまたきっと、空を渡って、ここへ帰ってこようと思いました。

(2000年東京旅行記・おしまい)

わたしの記憶に残ったままを描いたので、事実と違うところがあるかもしれません。
そのあたりは、ご了承ください。
また、今日現在書いた内容は、29日のサイト開設七ヶ月に間に合わせるために、
一気に書いたので、風景の描写などがまだ抜けています。
誤字脱字もきっとあるでしょう。アップしたあと、じわじわ直していく予定ですので、
興味がある方はまめにチェックをしてみてください♪

旅行中、お世話になった方々、とくに、毎日ホテルに来てくれたポプラ社のNさん、
本当に、ありがとうございました。電灯、明るかったです。



旅のお供だったルルーちゃん人形・撮影すず猫さん

(00.12.29)
サイト開設7ヶ月の日に