書評&ゲーム批評 chaykaの書評

決して暗黒系にはしないつもりだけれど、お筆先で書くわたし、
いつまで理性を保つことができるでしょうか?

2001年1月読書マラソン30冊の記録こちら


″少女神″第9号フランチェスカ・リア・ブロック作・金原瑞人訳・理論社刊

「少女の目に映るきれいな世界」(初出・「季節風」62号。若干加筆)
 九つの物語で構成されている短編集である。現代のアメリカにいきる女の子たちの、ある日の日常生活の一こまを切り取ってきて、きれいに並べてみたような感じだ。
 さて。この本を読んでいない人に、既存の作家と比べて、たとえばあの人のあんなふうな物語だと説明するのは難しい。とにかく、おしゃれでかっこよくて、……ぶっとんでいる。はっきりいって受け付けない人は受け付けないだろう。良くも悪くも女の子の空想(というか妄想?)をそのまま小説にしたような物語ばかりなのである。リアリズムともファンタジーともつかない不思議な世界の情景が連続して展開するのだ。
 たとえば。「マンハッタンのドラゴン」という物語がある。主人公は赤毛でダンスが得意な少女タック。マンハッタンの古いアパートで、同性愛者の両親(両方が女性)イジーとアナスタシアとともに暮らしている。タックは二人から愛され、常に美しいものに囲まれ、生活を楽しみ、いろんな真理をさりげなく教えられながら暮らしている(この生活について綴られているところの魅力的な小道具や大道具が次々と登場するところや″両親″たちのささやかなエピソードを、タックの一人称で語ってあるところが、もうすっごい素敵……って、いけない、ブロックがうつった……で、一つ一つ書き写したいくらいなのだが、とにかく、文章がいいのだ。詩のような音楽のような文体で、かつ文章表現が的確で、女の子たちのため息が耳元で聞こえ、ダンスを踊るステップの振動を感じ、切ない涙の味や、汗のにおいを感じるような……そんな、錯覚さえする)。
 が、ある日、タックは自分の家が″ふつう″ではないということに反感を持ち、家を飛び出してしまう。自分の母親が″両親″のどちらかだろうということはわかっている。だが、父親はどこにいるのだろう? きっと″ふつう″の生活を営んでいるだろう父親、今の両親とは違って、「もの静かなすてきなパパ」で「考え深いタイプ」のはずの父親をさがそうと、タックははるばる旅をする。
 父を求める旅は両親(イジーとアナスタシア)への愛情を確認するための旅にもなる。
 結局タックは父親には会えないのだが、旅の終わりとともに、もっと大切な人と巡り会うことになる(最後に思わずびっくりで納得のどんでん返しがあるので、あまり詳しく書くのはやめておこう)。最終的にはタックはそれまで通り、両親とともにマンハッタンのアパートで幸福に暮らすこととなるのだ。
 このあらすじと設定をよんで、途方に暮れる人もいるだろう。この物語だけではない。この本には、自殺だってエイズだって精神病だって、ふつうにでてくる。悲しいことだけど、交通事故みたいにありふれた″ふつう″にある事件としてさらりと登場してくる。
 だが。本を読みすすめていくうちに、女の子の目に映る世界、女の子が考えるリアルな物語は、こういうものなんじゃないかという気がしてくるのだ。
 この本の物語世界は、世界共通の女の子の心のエッセンスを結晶させて形にして、目の前に広げてみせたような世界なのである。彼女たちは、きれいなものや素敵なものが大好きで、楽しいことやキティちゃんがおきにいりで、エイズで死んでゆく人々がいることに涙し、動物を食べることに痛みを感じる。そういう女の子の妖精(そのものずばりな存在が登場してくる幻想的な物語も収録されている)が、アメリカの街角でつぶやいた言葉をまとめたような本だ。
 ただ、時折かいま見える作者自身の視点は、社会に対して開かれ、深く考えている成熟した女性の持つまなざしなので、そのあたりがまたこの本の魅力というか、侮れないところだったりするのである。