A:創作・アイデア/心構え


1:文字と絵?

Q:
  物語を考えているとき、文字と絵、どちらで考えているのでしょうか? 私はマンガの原作ということもあって場面やストーリーの流れは絵で(時には動画で)考えているように思います。例えばある人物が話している場面を考えているとき、頭の中でテレビを見ているというか音声つきの絵を見ているというかそんな感じです。それを他の人に言うととても驚いていました。絵で物語を考えるというのは変なことなのでしょうか?


A1
  わたしもよく書きたい物語を映像としてイメージします。ワープロに向かって初めてそれが言葉に置き換わる感じです。読んでくれた人がわたしのイメージした映像を再び描いてもらえるように、言葉にしています。by 椎名かえる

A2
 私も同じように、物語を考えているときには映像が浮かんできます。こういった書き方は人それぞれでいいんではないかと思います。だから別に学生様は変ではないと思います。by あずさ

A3
  うん。私も、絵で考えますよ。頭の中の映像を紙に写し取っていく感じ。せりふは耳に聞こえてくるから、ほんと、自分だけが見ている映画を手でうつしている感じかな?by 村山早紀


2:何かを「書こう」と思うとき

Q:
  最近小説を書いていない理由の一つとして、「何が書きたいのか見えてこない」というものがあります。
  ストーリーが思いつかないというか、うまくまとまらないというか。
  話の骨格を、みなさんはどのようにして生み出していますか? 突然降りてくるものなんでしょうか? だとしたら、降りてこないわたしはちょっとその回路が錆びついているのでしょうか。その錆を取ろうとするときは、みなさんはどうなさっていますか?


A1:
  同じような状態です。書きたいことはいろいろありますがそれがわたしの物語としてはどうしても形にならないのです。無理やりワープロに向かっても結局はリズムもないとらえどころのない文章になって「だめだこりゃ」ってなってしまいます。
  書ける時は、やっぱり降ってきます。というか湧き上がってくるというか・・・とにかく溢れてきて、いてもたってもいられない状態になってすごい勢いでワープロに向かっていきます。そして溢れてくるものをとにかく叩きつけて行きます。ライターズハイです。脳内麻薬の世界(笑)
  書けないときは、焦らず時をまちつつ、古い作品の推敲をしたり・・・歌を詠んだりしています。とは言え、こう長く書けないでいるとどうしても焦ってしまいますけれど。by 椎名かえる

A2:
  本職になってしまうと、書きたくないかけないときでも、何かを書いて依頼してくれた人に渡さなくてはなりません。書いているうちに、かけてしまうこともあります(大体、そうですね。一度始動さえしてしまえば、続きは何とか楽しくかけてしまうものです)。
  だから、本職ではない人及び、まだ本職でない人には、「自由な時間があるのは今のうちだけだから、書きたい話だけを書いたら?」ということもあるのですが…。

でも、「お話を書きたい、かかなくちゃ」という強い思いがあるのなら、とにかく強制的にでも、机に座って、毎日一行ずつでも「なにか」を書くといいですよ。錆び取りには、音楽かな?好きな音楽をききながら、白紙やパソコンの画面を前に、無理矢理お話を考えるというのも、おつなものですよ(笑)。
  大切なのは…人間は、さぼるための口実なら、いくらでも考えつくので、自分を甘やかさないことでしょうね。(と、自戒の念をこめて書いたりする)。by 村山早紀

A3:
  さて、瞬間的に御話を思いつき、それを一気に作品する方式は、能率から判断すると便利で理想的なようですが、大局的には決してそうではないのです。むしろ後で困る面が多いのです。
  この方式は主として十代終盤から三十代、どれほど遅くとも四十代までしか使えません。なぜなら、年を取るほど柔軟で斬新な発想は出にくくなるからです。四十代以降は、それまでに蓄積した経験やデータを編集し直したりより深く掘り下げたりして作品を執筆する事例が多いです。
  ところで、作品を読んでもらう際に大事なのは、読者が読みたいものを書くことです。作者が読ませたいものを(または読者を無視して自分が書きたいことだけを)書いて読ませるのはよほど才能がない限り相手にされません。
  新聞を読んだり、娯楽番組を見たり、他人と話をしたりする中で、観察と考察をフル回転させれば、おのずとどんな人々がどんな話題を求めたがっているか理解できるようになります。
  まずどんな読者に読んで欲しいのかを決め、その上でそのグループの人々が何を読みたいのかを考察すれば、答は出るのではないでしょうか。by マスケッター

A4:
  かつて,ひたすらに何かを書いていた頃(高校,大学)は,本当に四六時中物語のことばかり考えていました。
  私はキャラクターをつくり,そのキャラ設定を深めていくうちに物語ができてくる場合が多かったので,ひたすらノートにキャラクターを描いてました。
  大まかにでもストーリーができかかると,一日10数時間もワープロに向かって短期間で書き上げていました。
  しかし,就職するととてもそういうわけには行かず,短時間,長期間で書かざるを得なくなります。で,そんなことはできないと思いこんでいたために,しばらく,お話作りから離れていました。ですが,ここ2年ほどで,再び書き始めています。
  その気になるとかけるもので,使わずにいた回路がつながった感触です。
  物語は,結局,降りてくるものでしょうが,おろすために,意識を物語世界に向ける。短時間ずつでも,毎日やってると回路がつながる気がします。by monaka

A5:
  私の場合は・・・、いろいろな時が有りますが、ふっ…とストーリーが浮かんできます。それにあわせて、キャラを考えていきますね。話にあわせて性格、髪型など細かく決めておくんです。まあ、小説に関わりのないことまでです。自分の中にあると、書きやすいですしね。すると、どんどんアイデアやイメージが浮かぶんです。それが、楽しくて。大体、こんな感じです。by 雲海

A6:
  私の場合は、夢を見て、朝起きたときに使えそうなところを急いでメモします。by 星来


3:書くことに自信を持つ

Q:
  私は、今小説を書いているのですがなかなか長くかけません。それに、なんだかちょっと怖いんですね。見られるのが。こんなの面白くない!って言われそうで・・・。どうしたら、自信がもてるのでしょうか?でも、これを書くのをあきらめるのはいやなのです・・・・・。


A1:
  とりあえず、書いているお話は完成させて、おともだちにどんどん読んでもらうことでしょうね。そうして、できれば「かならず」おわりまで書くこと。かんせいさせることが、だいじなので。
  でね。かんせいさせるまえに、他のお話を思いついて、どうしてもそっちがかきたくなったときは、ほかのノートに(パソコンの中でもいいけど)「アイディアようのノート」をつくっておいて、そこにアイディアをメモしていればいいですよ。で、いま書いているお話が完成してから、そのおはなしをかくようにすればいいんです。
  ながくかけるようになるには、いっぱい本を読んで、物語というものに、なれていくしかありません。それと、たくさんかけばかくほど、ながいものがかけるようになってきますよ。10歳以下では、ながいのがかけなくてもあたりまえです(笑)。
  自信を持つには…うーん。これは、いっぱい作品を書くことしかないかなあ。「あせらないで」ってことですね。ずっと書いていれば、いつかは長くもかけるようになるし、自信もでてきます。by 村山早紀

A2:
  人に読んでもらうのが怖いというのは、よくわかります。でも、作品についてキツイことを言われるのと、書いた人間についてキツイことを言われるのは、ぜんぜんちがうこと。
「こんな面白くない作品を書くアンタは、未熟な人間だ」なんてこと言う人がいるかもしれませんが、そういう考え方はまちがっていますから、気にすることはありません。といっても気になりますけどね。でもそういうことをいう人は、悪役キャラに仕立てて、物語の中でとっちめてやりましょう。
  自分の夢を大切にする人は、他人の夢も大切にしますから、たとえ「面白くない」と言っても、それは「もっと面白いの書いてね」っていうはげましなのです。
  それから、長い作品を書くことについてですが。短い作品を書くことが基本だと思います。そして、自分の作品をあんまり大事にしすぎないほうがいいと思います。バラバラして、使えるところは別の作品に使ったほうがいいと私は思っています。
  宮崎駿さんは、バケネコのキャラクターで作品をひとつ作ろうとしたけれど、ボツになりました。そのバケネコが後でトトロのネコバスになったんだそうです。
「この場面には、前に書いたあの作品のアイディアが使えるゾ」というふうに私は書いていくんですが、長い作品を書いたことのある方は、どうでしょうか?by コブタ


4:何から始めたらいいの?

Q:
  私は、本を読むようになってから、作家になりたいと思いました。本を書くのってどうやればいいのでしょうか?教えてください。


A1:
  中学生くらいでは、うまく作品を完成できないのがあたりまえといえばあたりまえなのです。(だから、中学生の段階で、作品を完成させられる子は、まちがいなく才能があるともいえます)。
  だから、いまは、完成させられなくても、とにかくかくようにしてください。パソコンで書かなくてもいいんです。ノートにエンピツやシャーペンで書くだけでも。
  そして「物語を書く」ということになれてきたら、次は、「いっさくかきあげる」ことをもくひょうにしていけばいいのですよ。
  いきなりかけるようになるのはむりです。じわじわかいていってくださいね。by 村山早紀

A2:
  私が初めて書いたのは「モグラ物語」という作品でした。小学校4年生のときです。お話しの書き方なんて、全然わかっていなかったので、ただ、”三匹のモグラがいました”と書き出して、終わりまで思うまま、気ままに書いていました。
  でもね。最初はそれでいいと思うんです。書いているうちに、頭の中でだんだん物語が広がってゆく感覚を、味わってみてください。楽しいですよ!
  そのうちにだんだん自分が読む本も増えて、変わってきて、自分のやり方が見つかってくると思います。
  大好きなこと、伝えたいこと、がたくさんあれば、きっと技術はあとからついてきますよ〜。by ジャンニ


5:付き合いの長いトゲ

Q:
  私は新しく思いついた話をその時書いている話が終わるまで書くのを待てないという悪癖がありまして(改善しなきゃいけないのはわかってるんですが)、その悪癖のおかげで何年間も延々と書き続けている話が一つあるのです。
  確か思いついたのは中学1年生の夏だったからもう6年のお付き合い、書き始めたのは1年後で、それから1年に120枚くらい(単純計算、月に10枚ですね…今気付きましたが。)とろとろと書き続け、1年前に「第4部」と銘打ったエピソードに区切りがついたので一旦書くのを止めて受験態勢に入りました。
  そして春、受験が終わったので再開しようとしたのですが、筆が進まないのです。残りのストーリーはあらかた決まっています。後は結末に向けて突っ走れば良いのです。…と、頭ではわかっているのですが、書けないまま、「執筆(笑)5周年、中断1周年」を迎えてしまいました。
  原因の一つは、その話を書きながら色々他のものを(それも結構熱心に)書いていたことにあるようです。それらの話の多くは、この(期間が)長〜い話から派生したものです。設定から展開から全然違うのですが、全てベースにこの話があるのを自分で感じています。
  そして、後からできたものはちゃんと書きあがっていたりするのですね…。
  どうしても書き始めた中学生のときと大学生の現在とでは思想も感覚も違ってきてしまっているので、そのギャップが広がりすぎないうちに終わらせたいのですが…いつの間にか私の「原点」となりながらも結末を迎えることのできない“旧友”が、私の中で一つのトゲになっています。


A1:
  そういうときは…あとからあちこち捨てるのを覚悟で、とにかくラストまで書く。これにつきます。
幸い、いまは高性能なパソコンで、みんな小説を書いている(みんなとまではいえないか)わけですから、削除も訂正も楽なもんではないですか?
  ラストまで書きながら、たまにひきかえしてあっちなおしこっちなおしして、書いているうちに、いつかは調子が取りもどせますよ、だいじょうぶ。調子がもどるまでは、足におもり付きの鎖をつけてるみたいにむちゃくちゃつらいと思いますが、そこで逃げていると永遠に完成しないので(笑)、ここはひとつ、腹をくくって、完成させちゃどうですかい?by 村山早紀


6:書けない空白

Q:
  ファンタジー系統の本をよく読みます。そして、今、物語を書いています。書いている物語も、またファンタジー系統です。けれど、今ちょっと、続きがかけないでいるのです。続きがどうなるかは、もう決まっているのです。けれど、どう文章でつなげていいのかがわからないのです。その場面だけがどうしても書けずに、空白のままなのです。書いてみても、どうも前の文と合わないのです。結末も、もうほとんど頭の中で、出来上がっているのです。こう言う時、どうしたらよいのでしょうか。


A1
  そういうとき、わたしの場合は…ていねいにメモを書きながら、「空白」な部分を考えたりするかな? 好きな音楽を聴きながらとか、散歩しながら、とか。
  そうでなければ、できているところを(つまり、ラストならラストを)、もうかいちゃって、あとでつなげると思う。
  お話は、最初から最後まで、きちっとじゅんぐりに書いていかなきゃならないということはないんですよ。by 村山早紀

A2
 私も ファンタジー系は よく書きます。それで どうしてもつながらない時
よくあります。そんな時、時間って使えないでしょうか?
 ○○時間後・・とか 書いて
行がえをするでいいのでは?by しょこら


7:子供に見せられない話?

Q:
  私が…最近思ったこと、それは【臭いものには蓋をしろ】的な動きが最近あるような気がするんです、子供には残虐なものは一切見せずに純粋培養に育てよう…みたいな? う〜ん? アダルト的なものはよくありませんが、残酷というか、殺戮シーンや、それに戦闘シーンがあるもの、ホラーみたいな血が出てくるものは一切みせない…みたいな?
  何処かどう、といわれたら困るのですが…。
  私が小学生の頃読んでいた小説や漫画などの話題になった時、知り合いの方たちが、「これは今の小学生には読ませたくないなぁ。どんな影響があるかわからないから」といわれたのですよ。
  う〜ん? タニス・リーとかクランプさんといわれる漫画家さんの「聖伝」という漫画などなんですが、私が12歳の頃に読んでいたものというのは…少し残酷、と思われるシーンもたしかにあります。
  でもそれはそれを前提にしたものではないのですよ。
  指輪物語なども読んでいましたが、それは小学生には難しいが、「ふさわしいもの」らしいのです…。
  基準がよくわからないのですが、私的に、何でも一まとめにして「よくない影響がある」とするのには疑問を感じます。
  小学生の時、私はかなり読むものに関しては早熟でしたが、変な影響…などはなかった、と思います。
  う〜ん? 少しわかりずらくなってしまって申し訳ありません。私が最近感じる疑問です。
  そして私が書くものが「残酷」だとよく言われるんです、人を殺すシーンとかがあるんですよね。
  う〜ん? それを前提にして書いているわけではなく、テーマに沿って書いていると、どうしても出てくるのですよ、【生と死】がテーマのものが多いので。
  私は昔から体が弱く、幼い頃死にかけたこともあるそうです、だからそんなものが多くなるのかもしれませんが、現在…残酷なものが多いという指摘を受けて、【書くこと】自体にジレンマを感じることがあります。
  私は何を表現したいのか? 人の一言自体で、私が書きたいという気持ちが揺らぐのが悲しいというか。【子供にはあんたの小説見せられないよね】という言葉などに…ほのぼのとか、ギャグとかを書けばよいのか? そして…ライトな明るい世界を書けばいいのか? そんな疑問がよぎります。私的にそのあたりは苦手だったりします。


A1:
  わたしの場合は「現実は過酷だからせめて物語はハッピーエンドに」を基本に書いています。甘すぎ、世の中そんなもんじゃない、と言われることも多々ありますけれどわたしは「だからこそわたしはこういう話を書いているの!」と答えています。

 水城さんの場合は多分わたしと逆で、過酷な現実をみつめるような物語を書かれているのではないでしょうか? それが水城さんの書き方なら揺らぐことなく書き続けていけばいいとわたしは思います。物語の役目はいろいろですから。by 椎名かえる

A2:
  少々大げさな表現になりますが、そもそも生き物がこの世で生きるということ自体に、残酷な一面があります。情け容赦のない生存競争にさらされ、遅かれ早かれ死ぬことに変わりはありません。それを一切合財、百パーセント無視したりカットしたりすることは、創造の精神からしても自然の摂理からしてもさほど賢明ではないでしょう。
  とは申しますものの、醜悪な場面をどろどろぐちゃぐちゃに描いて、「どうだ、現実はかくのごときだ。参ったか」などという作品を書いても、あまり相手にはしてもらえないでしょう。百年ほど前、日本における自然主義文学は結局頓挫してしまいました。
  ともかく、子供にそうした作品を提供するのをはばかるのは、相手の痛みが良くわからない内にその種の刺激を受けてしまうと面白がって真似をするからです。特に自分より弱い、言いなりになる存在に対して「実験」したがるのは近年の新聞記事などで良く触れられているとおりです。
  そう言えば、アメリカ大陸に古くから住んでいる人々は、子供に軽い火傷を負わせる程度に火に触れさせることで、その恐ろしさを教育するなどという話を聞いたこともあります(※一般の御家庭でそうすべしなどと申し上げているのではありません。念のため)。
  いずれの場合にしても言えることは、明るい御話であれその逆であれ、ただの「おしつけ」では優秀な作品は生まれないことであります。御参考になれば幸いです。by マスケッタ−

A3:
  残酷に思えるシーンもたいせつだとおもいます。生と死にみんないつか真正面に向かわないといけないと思うから・・・。いつか絶対。ハリー・ポッターも、最初っから、生と死に向かい合っていますし。とにかく言いたいことは、そういう本も大切だと思いますよ!! ということです。自信をもってください!!by

A4:
  どこまでの描写を残酷と感じるか、それは人それぞれだと思いますよ。
  昔、ルパン三世を外国で放送しようとしたところ、五右衛門の斬鉄剣が、放送コードに引っかかってしまった…。という話を聞いたことがあります。(笑)
  いくら相手が悪人とはいえ、刃物で人を切り殺すのは、子供も見るアニメーションでは残酷…ということらしいです。確かに、「子供が真似する」という理由から、残酷と判断されるシーンを敬遠する傾向が、最近特に強いように思えます。
  だからといって、あまりに神経質すぎては、かえって残酷な行為を嫌悪する気持ちも、育たないように思えてなりません。作品の中から疑似体験することで、感じとってゆくものも多いと考えるのですが、このことも考えに入れて、あえて挑戦するのも、いいことだと思いますよ。by TAKUYA


8:書いてみたのはいいものの

Q:
  質問したいのは、書き終わったということで自信を持っていいのか? 1つのお話のバランスはいいのか? です。
  バランスが悪いと読んでいて、「うーん?」と考えてしまいそうなのです。全部で、20のまとまりとして分けているのですがこれでよいのでしょうか?自信を持って、たくさんの人に見せたりしたほうがいいのでしょうか?


A1:
  書き上げたっていうのは、すごいことです。自信を持っていいです。
  そしたら今度は、そうですね、お友だちに読んでもらいましょう。ただ読んでもらうだけだと、「おもしろかった」としかいってもらえないので、感想用のノートをいっしょに渡して、感想を書いてもらいましょう。「一言でもいいから書いてね」っていって。
  大事にとっておいたら勉強になるし、あとで大事な宝物になりますよ。by 村山早紀

A2:
  物語を最後まで書き上げたのですね。それはとても素晴らしいことだと思います。
  私も最近、物語を書き始めたのですが、上手に書けているのかどうか、自分ではなかなか確かめることがむずかしいですよね。
  私のばあい、お話を書き上げたら、まず、最後まで声に出して読んでみます。そうすると、文章がおかしいところで、「あれ?」と思います。うまく読むことが出来ません。
  そうやって、いくつも見つけ出したよくないところを、少しづつ直していくと、だんだん良くなっていくように思えるのです。
  声優さんになったつもりで、いちど作品を読んでみてはいかがですか?きっと何か発見があると思いますよ。by TAKUYA


9:絵とお話

Q:
  皆様はお話(小説でも童話でも)を書く時に絵(登場人物や舞台など)を描いたりしますか?
  私の場合、実はお話を書くよりイラストを描くほうが好きだったりするのですが、昨日現代美術展を見ていた時に、自分の描くイラストには必ず何らかのストーリーがあることに気がついたのです。
  つまりは、ストーリーがないと、イラストが描けない・・・と言ってしまえば大げさなのですが。それでも、イラストを描く過程でストーリーが出来てしまうのは事実なのです。そして、そうして考えてしまうストーリーはいつも壮大で、収拾がつかなくなってしまうのです。
  ちなみに私はイラストを漫画に発展させるほど器用な人間ではないので、表現はやはり文章になってしまうのですが。
  話題がそれてしまいましたが、私は絵とお話は創作の過程でけっこう密接に関わっているのでは? と勝手に考えているのですが、皆様はどうですか?


A1:
  絵とお話−−というか、映像とお話は密接に関わっている気がしますね。
  わたしの場合は、学生時代にテレビのシナリオライター志望だった時期があったり、同人誌でマンガを描いていたりしたので、今も、文章を書きながら、背景から小物まで、全部想像しながら描いています。テーブルを挟んだ、人物の立ち位置も考えてる。
  で、児童書とか、ファンタジーなんかは、ビジュアルが大事というか、作者がしっかりと脳裏に空の色地面の色まで思い浮かべていないとかけないような気がします。そうじゃないと、読者に説明できないから。
  もちろん、読者さんたちにも、想像する余地は残して置いてあげなくてはならないのですが、それも、作者が限界までビジュアルを思い浮かべていてこそできる余裕だと思うんですよね。
  ヒロインの着ている服の色も、ヒーローが乗っているバイクの形も、わかっていないでどうして読者に読んでもらえるだろうか、と思うのです。by 村山早紀

A2:
  私も,高校生の頃にマンガを描いていたせいもあって,ほとんど,キャラクターを絵にしてみます。
  キャラクターや作品世界を考えるうちに,大きくなりすぎて,外伝や,ワンシーンしか書いていないお話もあります。
  絵で描きながら,キャラ設定をしていくときがヘタすると,お話自体を書くときよりも楽しいときもあるぐらいです。
  村山さんもお書きになっていますが,実際に絵にするかどうかは別にして,頭の中にはたいてい映像があるのではないでしょうか。あ,でも,最近書いたお話は,全く絵にしていないものの方が多いかな。何が違うのだろう?(自問)by monaka

A3:
  私は文章を書きながら、頭の中にそのシーンの「絵」が浮かんでくることが多いです。反対に、断片的な映像が浮かびすぎて、まとまらず文章にならずに苦しんでしまうこともあります。
  村山先生もお書きになっていますが、自分の書く世界がイメージになるって大切なことかもしれませんね。by 杏実

A4:
  読者の側に立って言わせていただきます。大人の小説などの場合、絵は本当に挿絵でしかない場合がほとんどです。しかし、児童文学となるとかなり違います。
  児童的感覚をかなり残している私にとっては、絵は読んでみたくなる気をおこさせるものなのです。つまり、本に書かれている絵によって、読む読まないが決まってしまいます。特に、名前の知らない作家さんの作品の場合は。早紀先生の本の絵は、どの方のも素敵です。ですが、私が今まで見た中で、一番好きなのは「長谷川知子」さん。のびのびいきいきしているし、とてもかわいいんですよ、どの人物も。それから、「味戸ケイコ」さんも素敵ですby てば


10:物語の題材

Q:
  最近物語を書こうと思っているのですが、なかなか良い案がなく、過去に何回か書いた事はあるんですが、途中で案が浮かばなくなり、いつも中途半端に終わってしまいます。 そこで皆さんに質問です。皆さんは物語を書くときお話や、題材(?)などどのようにして決めていますか?(何かを参考にしていますか?)


A1:
  私は夢を見ることが多いので、その夢をちょっと変えたり、他の人のお話の良い所と、他のお話の良い所をつなぎ合わせたり・・・・。あと、自分で魔法とか、お話に入れてみたいことを全部書いておいて、つなぎ合わせるとかかな?by 咲紀

A2:
  私の場合は、アイデアはあっても、それを形にするまでに時間がかかります。
  私のやり方ですけど、とにかくメモに書き取る。なんでもいいから、見たもの聞いたもので「これは!」と思ったことをメモに書いておき、創作アイデアノートとして常に持ってます。テレビ、新聞、いろんなジャンルの本を読むことで興味を持つことをしています。
  参考になるか分かりませんが・・・こんな感じで、私は題材を見つけています。by 杏実

A3:
  私は、なんか花なんか見てて妖精なんかいないかなーってみてたら、これネタ(?)に使えるって思ったり人が「犬の気持ちが分かる機械があればいいな」って言ってたら、そんなのを発明した学者の話を書いちゃったりとか(笑)
  一番やってるのは,人をよく観察する!! なんか、身近な物をとにかくよく見て聞いて!! 旅行に言ったら、ショッピングとかしたりして!!! まぁ、つまり簡単に言えば見たり、聞いたりしていれば、ぽわーんって浮かんできますよ。私だけかなぁ、そんな人。by しょこら


11:書きたいのに書けない物語

Q:
  私には今、書きかけの物語があるんです。いろいろと、こんな風な展開にしよう、こんな人を出そうと決めていることはたくさんあります。それに、毎日、色んな新しいイメージがわいてきてとても続きが書きたいんです。
  でも、上手く文章に表せなかったり、全然筆が進まなかったりして全く書けないんです。イメージはあるのに、自分の中でその世界の時が止まってしまったようで。
  どうしてなのでしょう。皆さまはそのような経験はありますか?また、どのように対処されましたか?よろしければ是非、教えてください。


A1:
  それはたぶん自分の頭に浮かんだイメージを、早く形にしたくて、焦っちゃってるんじゃないかしら?
  とりあえず、ノートでもメモ帳でもいいから、一番勧めたいのは、ルーズリーフなんだけど、物語のはじめからおしまいまで、書き込んでおくといいですよ。小説を書く時は、それを見ながら、順繰りに書いていくの。そしたら、なんとかなりますが…。
  とにかく、頭の中にイメージが浮かんでくるというのは、あふれてきてこまっちゃうくらいになってるというのは、才能があるということなので。がんばってくださいね。あせらないでね。by 村山早紀


12:褒めるべきか貶すべきか

Q:
  私は少し前までは、厳しい指摘をしてくれる人こそありがたいものと思っていました。そして、それを求めてホームページを開いたのですが、最近考えがちょっと変わってきました。
  ホームページに童話を載せ始めて少したちますが、最近読者が増えてきたようです。そして、掲示板の方にお褒めの言葉をいただけるようになりました。何人かの方から。うれしくなっちゃうんですよね。ぶたもおだてりゃってとこかもしれませんが。そして、「次を楽しみにしてます」なんて、書かれちゃうとなおのこと。
  そうすると書き手としては、その人たちをがっかりさせないためにも気合が入ってくるわけです。要するに、「欠点を指摘されるよりも、良い点を褒められたほうが人は育つのではないか」ということを感じたわけです。皆さんは、どう思いますか?

A1:
  わたしも、欠点を指摘されるより、いいところをほめてもらった方が嬉しいですが…。でも、悪いところを教えてもらうのも、大切なことだと思いますよ。やはり、自分の目だけでは、自分の作品を客観的に見るのは、難しいですし。
  時として、「いやそれは誤読だ。わたしが書きたかったのは、そういうことじゃなかったのに」といいたくなることをいわれてしまうこともありますが、それはそれで、「そんな誤読を誘うような書き方をした自分がいけないんだから、次からは気をつけよう」と考えることで、自分のためになりますよね。
  だから、あえて、「厳しい批評求む」といわなくてもいいけれど、来る批評来る感想を、素直に受け止めていればいいのではないでしょうか?
  ちなみに、批評や感想を書く側からすると、わたしがあえて、欠点を指摘する時は、
1.相手が作品を書き直すことで、その作品があきらかによくなるとわかっている場合。
2.相手の側に、批評を受け入れるだけの度量があるとわかっている場合。
3.相手がプロ作家志望である場合。
4.とにかく、「惜しい」と思った場合。
  ですね。つまり、わたしが作品について、細かく口出しする時は、その作品および作者に、期待している時、ということになります。by 村山早紀

A2:
  確かに褒められて気分はいいです。でも、本当に前向きにレベルアップしたいと思うならば厳しい意見も必要だと私は思っております。ただ、その中に悪意があるならばやめてほしいけど。by 杏実

A3:
  批評をしていただいたほうが、うれしいです。というか・・・どのような批評であっても、「なるほど、もっとも!」と思う場合が多いように思います。
  読み手が10人いれば、10通りの読みとり方があるわけですから、「ああ、私の表現はそんなふうに読みとられているのか」と、教えていただけることは、すごくすごく、ありがたいことだと思うのですけど・・・。by おれんじ

A4:
  わたしも誉められるとそれは嬉しいですけれど、はっきりと良くないと思う所を指摘してくれる人はありがたい存在だと思っています。
  HPで作品を読んで頂くようになっていろいろな人が感想や批評を下さって中にはまるっきり反対のことをおっしゃる人もいます。ここがわかりにくかった、と言われた所をここがすごくよかった、と言われたり。自分が思ってもいなかった読み方をされることも多くてそれはそれで書いた本人がびっくりしたり・・・
  はじめのうちは批評が怖くて、良くない所を指摘されるとしょぼくれたりしましたが今では全部肥やしになる!という思いです。by 椎名かえる

A5:
  早速ですが、褒められるのもいいと思います。うれしいし、がんばろう!って気持ちに慣れるしね。でも、アドバイスがないってのも、困り者だと思います。例えば、自分でう〜んって思っているのに「よかったですね。」っていただいたら。
  私の場合、あれれ??って思っちゃうんですよ。だけど、ちょこっとでもアドバイスがあればそうすればいいんだ!と思ってアイディアが浮かぶかもしれない・・・!
  つまり、アドバイスと褒め言葉。半々にあればちょうど良くて、成長するってこと。ただ、アドバイスばかりだと「自分は駄目なんだ」って思ってしまうので、褒めてもらうのもいいと思います。by しょこら


13:小説と物語?

Q:
  私は小説と物語の区別がなかなかつかないのですが、どう違うのでしょうか?


A1:
  小説は、文章で書いたものだけのことをいいますが、物語というときは、お話、という意味になるので、マンガなんかもはいってくると、わたしは思っています。(でも、ひとによってはちがうわけかたをしていると思いますね)。
  あと、子ども向けの小説のことを、物語、と書いてあることも多いようですね。by 村山早紀


14:可愛くないもの

Q:
  童話では動物たちが主役のものがたくさんありますよね。でも、犬・猫・うさぎなど可愛いものがほとんどです。人間に害を与えるもの・可愛くない生き物はあまりとりあげられません。でも、それらのものを取り上げて、かわいそうというように書いてしまうと、大変な事になってしまうような気もします。
  今回なめくじの話を書いたのですが、「これでよかったのかな?」と、少し不安になっています。童話は、可愛いものだけを書いた方がよいのでしょうか?


A1:
  この意識は、大切なんじゃないかなあと思います。人間に好かれていないものは悪いもので、かわいく思えるものだけがよいものだという考えを疑いもせずに書くのは避けたいですよね。
  私は、堀内純子さんという作家さんのファンなのですが、堀内さんの本になっていない作品に、ゴキブリが主人公のものがありました。ゴキブリは、戦争未亡人(だったかな?)の老婦人といっしょに暮らしているのです。で、その老婦人は目が悪いものだから、ゴキブリをこおろぎと見間違えてかわいがっている。で、我が家のこおろぎ(実はごきぶり)が、鳴く日を楽しみに待っているんです。
  ゴキブリは、申し訳なくて、一生懸命鳴く練習をします。そして奇跡が−−というお話でした。私は正直、ごきぶりは苦手ですが、このお話を読んだ時は、そんなことは忘れてました。
  なめくじを主人公にするって、いいんじゃないですか?この世界には、童話の題材にしてはいけないものってないんじゃないかと思います。by 村山早紀


15:読者を想定すること

Q:
  今回私は、「創作における読者の設定の仕方」について皆様とお話がしたくて参りました。
  今さら申し上げるまでもない事ですが、読者がいなければ創作活動の意味は半減します。しかしながら、むろん、あらゆる読者に100パーセント大絶賛される作品など存在しません。
  と、言うことは、「ある読者(及びその人物と比較的近い価値観を有するグループ)に好まれるであろう作品」を創作することが肝心であります。
  創作活動を続けていられる皆様は、「具体的な読者の設定」をどう考え、かつ実行されていられるのでありましょう。


A1:
  わたしの場合ストーリーが出来上がったときにその内容によってだいたいこのくらいの年齢を対象に、と決めていきます。主人公の年齢にもよりますし、自然と決っていくことが多いように思います。公募に出すために書いている場合はたいてい指定されていますのでではそれくらいの年齢ではどうなるかな・・・とストーリーの方を合わせていくこともあります。
  ただそれができるようになったのはごく最近でして、HPに載せている作品も含め初期の頃のものは童話の形式をとりながら対象は大人・・・大人のメルヘンみたいなものが多くあります。by 椎名かえる

A2:
  一番最初に書き始めたのは、童話とかではなかったので読者年齢を意識することもなく書いておりました。しかし、ここ数年。児童文学の勉強を始めてから読者を意識するようになったのです。その中で主人公の年齢にもよるのではないかと、感じました。現在の私は、中学年以上を考えながら書いております。by 杏実

A3:
  読者を想定して物語が書ける・・・これはもう、プロの技ではないかしら。悲しいかな、今のわたしには、「自然に書けるもの」しか書けない。これにつきるような気がします。ぐすん。by おれんじ

A4:
  デビュー前からすると、もう二十年も児童文学を書いているので、それ以外を書くのが難しいですね。つまり、最初から子ども向けの話しか思いつかなくなってる…。
  技術的な面でいえば、子どもが知っている語彙を考えるということや、複雑すぎないお話にする、ということは、常に意識していますね。でも、こっちの方は、担当編集者さんたちがチェックしてくるので、あんまり細かなことまでは考えてないかもしれないです。by 村山早紀 
 
A5:
  わたしはまだ、特定の読者を想定するというより、「自分の読みたいものを書く」という段階です。
  ですが、その「読みたい自分」というのが、いったいどのくらいの年齢なのかと言いますと、実年齢にかかわらず、ただ「こども」なのです。
  岩波書店の、『エンデのメモ箱』という本をご存知でしょうか。その中に収録されている講演会の原稿、『永遠に幼きものについて』というのがありまして、エンデは誰の心の中にも、大人と呼ばれる人たちの心の中にも、「永遠の幼心」があるのだといっています。
  そして、わたしの(浅知恵で)思いますに、ずっと心に残る本、ずっと受け継がれていく本、というのは、世代間の価値観のちがいを超越しているのではないかと思うのです。
  そこには、あらゆる人の心に届く何か、時代がいくら変わっても、普遍の何かがあると思うのです。
  「人間として如何に生きるか」を問いつづけているのが、児童文学ではないでしょうか。
  子供といわず、大人といわず、いろんな人間が抱える問題や疑問を、考えつづけるのが、児童文学ではないでしょうか・・・。by 雨子

A6:
  ほんとうに、今の時代は目まぐるしく流れていきますよね。
「世代」を考えると、わたしなどは古いので、現代の子ども事情をつかむことがとても難しくなりました。主婦でありますが事情で子どもがおりませんので子育てのお母さんたちとの距離もあります。そう言うときは、子供向け番組や、今発行されている児童書を読むように心がけております。とはいえ、なかなかそれが具体的に作品として形になりませんが・・・。
  私自身、児童文学として書き始めたのはここ数年のことでしたので、読者層をしぼるのが難しいです。それでも、いつの時代にも変わらないものがあるのではと思いながら書いています。by 杏実

A7:
  わたしはもう12年アメリカ暮らしをしていまして、子供たちもアメリカ生まれ、アメリカ育ち。といって自分自身はアメリカの学校に通ったことがありませんし、英語もきちんとは話せない、アメリカ文化もきちんとはしりません。
  そして、わたしが日本を離れてからもどんどん日本は変わっていって、当然子供たちも、世間も変化してしまいました。「イマドキの日本の子供」も、よくわかっていないのです。
  実に中途半端な存在になってしまったわたしは、結局「仮想読者」を「昔の自分」に求めてしまいます。あの頃のわたし、に向かってあの頃聞きたかった言葉、を語っていることもしばしば。
  当然、古い感じになってしまうことも多々ありまして、そういう場合、日本にいらっしゃる皆様のご感想がものすごく役に立ちます。
  ちゃんとご質問の答えになっているでしょうか?by 椎名かえる

A8:
  ものごとに無心で没頭し、探求し、驚きを受け入れるというような、幼稚さとはちがう「子どもらしさ」はいつの時代も不変だと思うし、また児童文学を志す人は持っていないといけない「能力」だと思います。これは児童文学の基本ではないでしょうか。雨子さんがおっしゃっているのは、この部分ですね。
  一方で、今の子どもはわかりにくいのもたしかです。特に若者のコミュニケーションのとり方。メディアの進化とともに変化しているので、私のようなおじさんにはついていけないところもあります。だけど、今の若者の心をつかむ作品もたしかにあります。
  では、そういう作品を生んだ作者は、「仮想読者」を意識したり、対象となる読者像をしぼったりしているのでしょうか。私は明確にそれを意図していないんじゃないかと思います。結局は作者が提示した新しい視点や価値観が、読者をつかんだのではないかと(たとえば『カラフル』を私は思い浮かべています)。
  さて、さっき読み返してみたのですが、私も参加している同人誌『季節風』の評論でも、今の若者をどうとらえるかがテーマになっていました。問題提起を要約すると、「今どきの若者はさっぱりわからないという言葉も聞かれるが、これまでの若者をとらえる視点に問題はなかったか。またそれが若者を捉えられない一因となっていはしまいか」です。
  私たちも子どもも若者も社会の成員だから、子どもに影響を与える社会や時代の変化には、私たちも多かれ少なかれ浴しているはず。そう考えると「子どもや若者がわからない」というのは、「変化に対して新たな視点を持ち得ていない」ということなのではないかと思いました。by コブタ

A9:
  自分の書きたいと思う分野が「ファンタジー児童文学」なので、その分野の中で考えてみました。
  こどもというのは、多かれ少なかれ、不安を抱えて生きているものと思います。
  自分の生み落とされた世界におののき、鋭い恐怖を感じて、毎日生きている。
  そのこどもたちに(おとなの中のそれにも)、あたたかくやさしく、そして強く呼びかけるのが児童文学だと、わたしは思っています。
  こんな、不況で、いじめがあって、受験があって、戦争があって、近所で殺人が起きるような世界、・・・そんな世界にも、あなたにやさしい眼差しをむけるものがある。あなたに、美しいと思えるものがある。あなたは、この世界で生きることができる(また、この世界をもっと善くすることだってできる)。
  傷つきやすいこどもの魂を壊さないため、そう語りつづけるのが、児童文学のあるべき姿ではないかと・・・。
  それは、時代にとらわれない人間としてのテーマであると思います。
  そして、もっとも不変的にそれができるのが、「ファンタジー」という手法ではないかと思うのです。
  ファンタジーの世界では、竜や妖精といった生き物たちが、自然に息をすることができます。そういった生き物・・・人知を超えたものたちを、大昔の人間は現実に感じていた。・・・夜の闇をおそれたり、稲妻に神を見たり、そういうことです。
  その大昔からの感覚をうけついでいるから、いまでも人間は竜を畏怖し、妖精に神秘を感じることができるのではないでしょうか。
  人類も昔は捕食されるがわだった、だから猛獣がこわい、そういう感覚です。
また、そこを「旅」するのは書く者・・・人間の心にある幼心だと思います。
  そういう要素を備えた分野だから、わたしはファンタジー児童文学を信頼できるものだと思います。
  自分の理想を念頭において考えてしまったので、ちゃんとお答えできていないかもしれません・・・。
  勉強不足なのに生意気を申しますが、わたしの考えてみたひとつのこたえはこれでした。by 雨子


16:児童文学ってなに?

Q:
  僕は小説家を目指しています。で、早速質問なのですが、「児童文学」と、「児童文学では無い作品」には、明確な違いがあるのですか? 児童を対象にするから、児童文学なのでしょうか?


A1:
 わたしは書き手としては「誰に向けて書いているか」ということが問題ではないかと思います。対象年齢、ということを考えて作品を書いていく、ということは大切なことだと思います。
  ちいさな子供に難しい言葉でメッセージを伝えようとしても伝わりませんよね。児童文学、というのは、児童と呼ばれる年齢の相手に対してわかるようにメッセージを伝えようとした物語だと、わたしは思っています。
  それでは、明確な線を引けるか、というとそれも難しいのではないでしょうか。人の心の成長というのはもう、その人、それぞれですから。
  たとえば、ハリーポッターですけれど、人によっては子供の読み物、と言い切ります。けれど、児童書、として扱われているかというとそうではなかったりします。物語は受け取り手の心しだい、だと思います。そうして自分の書きたいという気持ち次第でもあります。
  自分のいま書きたい物語が誰に向かっているか、ということがわかれば「児童書」「一般書」という世間のくくりはあまり気にしなくてもいいような気がします。by 椎名かえる

A2:
  私の書き手としての、「児童文学とはなにか」ですが、「子どもから読める文学」と定義しています。つまり、おとなを読者対象としては除外していません。
  これはどういうことかというと、文学としては、おとなが読めるだけのレベルのものでありながらも、子どもの語彙や感性でも読みとれるだけのシンプルさで書かれている作品、ということになります。児童文学作家としてのわたしが書きたいのは、そういう作品です。
  で、一般的な意味での「児童書とおとな向けの本はどう違うか」という質問へのお答えは…。「作家がちがう、出版社がちがう」としかいいようがないですね。児童文学の作家は、普通はおとな向けの本(一般書)は書きません。出版社がちがうし、編集者もちがうからです。
  デビューの時からずっと、それは変わらないので、(たまに例外の人もいますけれど)、児童書の作家になりたい人は、最初から児童書でプロになることを考えていないと厳しいですね。by 村山早紀 


17:ネタ・ネタ・ネタ

Q:
  物語のネタって、どうやって見つけるんですか?あと、ネタが、いっぱい書いてる人は、無くなることって、ありませんか?
  私は、思いついたことをそのまま書くものが無いので、良い案を思いついても、すぐ忘れちゃいます。
  あと、書きたいものに、全然違うイメージが2つ浮かんでくることがあるんですけど、そういう時は、夢でつなげる以外に、何か、無いですか?


A1:
  物語のネタを見つけるにはどうすればいいの? という質問ですが、どうやって、と決まってはいません。私の場合は遊んでいたり、本を読んでいたときに、よく思いつく事があります。新しい体験をしてみた事を、ネタにしてもいいですね。
>あと、ネタが、いっぱい書いてる人は、無くなることって、ありませんか?
  私は、ネタが無くなる事がたくさんあります。でも、急に思いついたりと、その時によって違うと思います。
>私は、思いついたことをそのまま書くものが無いので、良い案を思いついても、すぐ忘れちゃいます。
  何かノートを作ってそこに書いていけばいいのでは?良い案が思いついたとき、メモを持っていた方がいいかもしれません。
>あと、書きたいものに、全然違うイメージが2つ浮かんでくることがあるんですけど、そういう時は、夢でつなげる以外に、何か、無いですか?
  私は、今書いている話が終わった後に使えばいいと思います。いっぱい浮かんでくるようだったら、書いている話に付け加えてもいいと思います。by 相輪


18:キャラクターデザイン

Q:
  キャラクターの設定について、ご相談したいことがあります。物語の登場人物をつくるとき、どうしても、似たようなキャラクターができてしまいがちなんです。絵を描いてみても、顔、体型、想像する声まで似てしまったり・・・。
  あと、人物構成も同じようなパターンに陥りがちです・・・。さらには、「昔読んだ本に、この人出てきた」なんてことまであって・・・。登場人物に多様性や強い個性を持たせるには、どうしたらよいでしょうか?
  ・・・また、描写しづらいキャラクターというのもあります。わたしの場合、それは中年・壮年の男性でして・・・。普段から接する機会のない年代、性別の人物を描くには、どうしたらよいでしょうか?


A1:
  その気持ち、よくわかります。自分が好きなキャラクターのパターンがあって、別も物語を書いたのに似てしまったりするのですよね。「どこかで読んだ、あのキャラクターに似てないかな?」と、感じてしまうのは、それだけいろいろな本を読んでいるからだと思います。
  それゆえに、悩んでしまうこともあります。最終的には、書く人の価値観や思いが、キャラクターをオリジナル化させていくのではないかと感じるようになりました。すでに、物語が作られてたくさんの時代が過ぎていますので完全なるオリジナルというのは無理だと思いますので。私たち人間も、性別・年代・生活環境が違うのにどこか似ている部分があるのと同じだと、考えるようにしています。
  登場人物のひとりひとりについては、性格やクセなどがあれば、それを強めに出すというのもひとつの、私の考え方です。
  知り合う機会のない年齢層については、私はドキュメンタリー番組を見たり、外に出て人間観察をすることが多いです。公園、喫茶店、電車の中で、ついつい人間を見てしまうんですよ。そして、海外のドキュメンタリー番組も好きで見ています。風景や人間関係などで日本と違った部分を発見するのが楽しくて。見たものをすぐに形にできませんが、記憶の引き出しに入れておいて何かの時にふっと引き出しが開き、ヒントをくれたりします。by 杏実

A2:
  同じ脳みそから生まれるわけですから、多少似るのは仕方ないと思います。自分は身近な人をモデルにしたりして作っています。あと、方言とかを使うのもいいそうです。
>絵を描いてみても、顔、体型、想像する声まで似てしまったり・・・。
前にイラスト好きな友人にキャラクターの特徴をいってイメージ画を描いてもらったら、自分の想像とは全く違う人になりました。自分以外の人にイメ―ジしてもらうのも良いヒントになるかもしれません。by 蒼海狼


19:現実的な物語

Q:
  私もよく物語を書くのですが、どうしてもファンタジーっぽくなってしまいます。どうしたら、少し現実的になれるのでしょう??


A1:
  現実的に書く方法ですが…これはあなたが、おとなになるしかないですね。新聞を読んだり、お父さんやお母さんと世の中についてのお話をしたり、NHKのドキュメンタリーをみたりしていれば、いつか、世の中というものがわかるようになります。

「現実的に書く」というのは、世の中を知った上でお話を書く、ということなのです。がんばってくださいね。by 村山早紀


20:物語の材料

Q:
  今日相談したい事というのは、物語を書くときの材料をどうやって得たらいいかということです。物語の舞台となる場所の様子や、登場人物の職業などについてどうやって調べたらよいのでしょうか。ぜひおしえてください。


A1:
  もっとも効率的かつ確実な方法は、歴史の教科書を読む事です。題材の宝庫です。

 教科書には字数を始め様々な制限があり、必要最小限の内容しか書いていません。しかし、「○×王朝は何年の△という事件で衰退した」というほんの一行だけで十分です。それをもとに、事件の背景や関係した人々を調べていけば、自然にお話の創り方やこつが掴めてくるでしょう。こうした要因を自由に取捨選択しつつ、その時代をどうやって人々が生き抜いたのかを考察すれば、必ずや大きな力となるでしょう。
  ただ、何も私は、歴史上の事件を盗作すべしとか模倣すべしとか申し上げているのではありません。この辺りは多少理屈ばった説明がいるのですが、今は控えましょう。
  調べる手段としては、インターネットも有効ではありますが、今のあなたにはむしろ漫画が御勧めです。他の資料と併せて読むと効果が上がります。by マスケッター

A2:
 中公新書の加藤秀俊著『整理学』『取材学』をお読みになればどうでしょうか。

  図書館の使い方はじめ、得たい情報へのアクセスの方法が詳しく書かれています。学生必読の書ですよ。by コブタ


21:創作意欲の息切れ

Q:
  最近、物語を書いていても、目標地点としているところまで行かないうちに、手を止めてしまうのです。行き詰まったというわけではなく、ちゃんと先まで内容が決まっているのに、すぐに他のことに注意が行ってしまって…。コースが定められていて、ゴールもちゃんとわかっているマラソンなのに、ちょっと走っては途方に暮れてしまうという感じです。
  皆さんはそういったことは、ありませんでしょうか? 何かをつくるということへのエネルギー源は人それぞれだと思いますが、何かよい打開策をお教え願えないかと、投稿させていただきました。


A1:
  私は、そんな時は、書くことをいったんやめてしまいます。ゴールが見えてるのに、休んでしまうのはつらいことですが自分が納得いかないと書き出せなくて。だから、小休止して、自分の書いたものを寝かせるようにしました。そして、別のものを書いてみたり、とかしてますよ。by 杏実

A2:
  小休止するのもありだと思います。
  一方で、苦行する感じで、書き続けることが必要なときもあるんですよね。とにかく書き上げるまでは、って。音楽聞きながら書くとか、ここまで書けたら自分にご褒美をあげる、とか、いろいろ工夫してみてくださいね。by 村山早紀

A3:
  今、まさに私もそんな状況です。私の場合、最初と最後が決まってて、真ん中書くときに設定が決まってなかったり、資料不足で空いてしまったり、矛盾がでたり、しまいにはもう続編を考えついてしまったり...
  そんなときは、自分の小説の栄養になりそうな本や、サイトを探して見たり、思いつきを書いたメモを掻き集めて、とりあえず繋げて、それを使って空きをうめたり...それも駄目なときは、気分転換したり、お風呂に入ってぼーっと考えたり(リラックスしてると考えがまとまりやすくて創作欲も湧きますよ〜)色々やってみるとイイと思います。by 晃野 鷹


22:書きたいのに書けない時

Q:
  書きたいのですが、かけない。文章が思いつかない、ネタがないといったほうがいいでしょうか。こういう場合、書きたいけど書けないときはどうすればいいのでしょうか?


A1:
  勤労意欲は十分だが、燃える対象がないという状態かと拝察します。
  失礼ながら、ある意味ではアマチュアにのみ許される贅沢な悩みとも申せましょう。
  現実問題として、あなたの御年であとからあとからいくらでも文章が湧いてくるという状態になるのは極めて稀です。
  執筆に際しては、本人の才能・資質は別個として、普段からの観察と考察、経験と研究が必要不可欠です。それらは歳月を経るに従って大きくなるものです。
  今の段階におきましては、焦って筆を取るのではなく、気長に人生を楽しむのを優先されてはいかがでしょうか。
  また、執筆も大事ですが、そのために必要な各種の技術・技法を学ぶのも大事です。基礎をきっちり積み上げないと良い作品は生まれません。by マスケッター

A2:
  童話やファンタジーからはなれて、ちょっとかたくてむずしい本を読んだらどうかな。新しい知識を仕入れるということではありません。なんとなく気になる言葉や文を探すという感じです。
  ある言葉や文が心に残るということは、何か理由があるはずです。それを手がかりに、自分の中にあって自分で気づいていない物語の材料を見つけることもできます。
  岩波ジュニア新書というシリーズはどうでしょうね。文学だけではなくて、科学の本の中にも、けっこうヒントはあります。
  たとえば私の場合。もうちょっと具体的に。「科学とは何か」について述べた文章のなかでこんな一節を見つけました。
「技術の芽は、魔術師の気違いじみた方法の内に存在している。魔術師とは、何よりもまず事物を変化させようと願う人間だからである。」
  むずかしい文章で、私もよくわからないんだけど(わからなくったって気にすることはない)、「魔術師は変化させようと願う人間」って、使えそうな気がしてメモしておきました。
物語を書かないときは、こういう「お、これ使えそう」とか、「む、なんか気になる」という言葉をメモするために、いろんな本を読むようにしています。by コブタ

A3:
  私の場合、テレビゲームをやっているときや、本を読んでるときに自分だったらどうするか?とか、自分の物語のキャラクターならどうするか?というのを考えたり、音楽を聞きながらこの曲は、こんなシーンに使える!などと考えたりしてネタ集めをしています。
よかったら、試してみて下さい。by 晃野 鷹


23:記紀の世界

Q:
  記紀などを読んで神代にはまりこみ、その中のある人物について自己流の解釈で話を書きかけたのですが、どうも人物の背景が薄っぺらく感じられてしまうのです。
  せめてもう少しなんとか、と資料を調べても、記紀の世界なのであまり見つからず。また本文にも記述はありませんし…日頃ファンタジーなどの自分の創り上げた世界ばかり書いているからなのでしょうが、困っています。何か助言が頂ければ嬉しいです。


A1:
  突然で何ですが、安本美典教授と故・折口信夫は御存知でしょうか。安本教授は「数理文献学」という手法で古代日本の謎に挑戦しておいでの方であり、故・折口信夫は国文学を研究する者ならせめて名前ぐらいは知っていて当たり前な人物です。御二人ともいろいろな本を書いていますが、大変参考になるはずです。既に一通り読まれた後なら申し訳ありません。
「人物の背景が薄っぺらく感じられてしまう」という御悩みですが、時代背景やその当時の人々の生活観については比較的多くの資料や著作物が出版されています。もっとも、ある程度大きな書店でないとなかなか扱っていませんし、あったとしても高いです。そうした際は、古代日本を研究なさっている方のサイトへ接触し、そちらで質問されるのを御勧めします(ただし最低限の基礎知識はあらかじめ予習された方がよろしいでしょう)by マスケッター


24:作り話を形にすること

Q:
  時々、作り話が頭の中に生まれます。あくまでも、作り話であって、創作活動ではないと認識してます。でも、これをまともな作品らしく仕上げてみたいと思うものがあって、どうしたらいいのかと思い探していたらこのHPにゆきあたりました。別に仕上げてなにをするという目的があるわけではありません。
  わたしの希望としては、わたしの作り話をこっそり、添削していただき、まあ、読める程度にメイクして、引き出しの中にこっそりいれて記念に置いておきたいのです。こういう場合、創作教室みたいところに通うのがいいのでしょうが、ちょっと気後れしてしまうのです。なにか、いい方法はないでしょうか?


A1:
  短い投稿文ですが、これだけの長さの文章からでも、ご自分のなさりたいことを、客観的にわかっていらっしゃる、知的な方なのではないかしら、と思いました。それに、他の方への配慮もきちんとできる人らしいということもうかがえますね。
  そういう方でしたら、気後れなどする必要もなく、どこの文章教室でも、楽しくやっていけるんじゃないかしら、と、私は思うのですけれど。また、ご自分で思われているように、ぱんださんの希望が叶うのは、文章教室にかよわれることではないかとも、思いました。
  あるいは、通信講座を受講するか、でしょうね。by 村山早紀


25:書きかけの物語達

Q:
  僕,この前部屋の整理をしたら,書きかけの物語がたくさん出てきました.いずれも,未完成品.書き始めは,面白くなりそう,と思ってかくのですが,かき進むうちに,これ,つまらないなぁ,と思えてくるんです.そのまま,書きすすめても,いいんでしょうか?


A1:
  御気持ちはよくわかります。失礼ながら、書きたいという御気持ちと作品を客観的に判断したいという御気持ちとがぶつかつている状態ではないでしょうか。
  いずれにしても、そうした際は、焦って書こうと思わずいろいろな知識や経験を積まれるのをおすすめします。あなた御自身の楽しみと他人様のそれとが一致するという手ごたえを得てから執筆に取りかかられてはいかがでしょうか。by マスケッター

A2:
  わたしも、そういうことがよくあります。…というか、つい数週間前に書いたものでも、読み返してみると「なんだ、これ」と思うことがほとんどです。そう思えるだけ、少しは成長できているのかなぁ、とプラスにとろうとはしているのですが…(^^;)
  書くときに気をつけていることなのですが、「これが本屋さんに置いてあったら、買うだろうか?」という問いを頭の中に置いておくようにしています。その結果、書いた大部分は自ら没に…(^^;)
  けれど、こういうことの積み重ねができるようになりたいなぁ、と思います。いつか、「このお話は、ぜったい買って読む!」と思える、そして、思ってもらえるものが書けるように…。by 雨子


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